和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

宮沢賢治と時代。

2023-06-17 | 思いつき
山折哲雄氏の文(「賢治の風光」佼成出版・1985年 p14)に、
「 大正10年から15年までの期間、賢治は花巻農学校の教師をしていた。」
とありました。

するってえと、関東大震災の大正12年は、賢治は花巻農学校の教師だった、
ということになります。はい。今年は関東大震災から100年目でした。

また、山折哲雄著「絆 いま、生きるあなたへ」(ぽぷら社・2011年6月)
には、こんな箇所があったのでした。

「 賢治が生まれたのが明治29年8月、
  そのわずか二か月前にマグニチュード8.2とされる
  『 明治三陸地震 』が発生しました。その直後の
  大津波で22000人が犠牲になったことを思いださずにはいられません。

  また誕生から4日後には、岩手秋田県境を震源とする
  内陸直下型の『 陸羽地震 』(M7.2)がおき・・・

  ・・賢治がわずか37歳で短い人生を閉じた半年ほど前の
  昭和8年3月3日には、約3000人の死者、行方不明者をだした
  『 昭和三陸地震 』(M8.1)がおきていたのです。

  加えて昭和5年から9年にかけて、『 東北 』の地は
  たびたび大凶作と大飢饉に見舞われていました。・・   」(p52~53)

関東大震災から100年目に、思い浮かべるのは、
宮沢賢治と、地震・津波・凶作・飢饉との関連。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 地裁で処分されちゃった裁判記録 | トップ | カードシステムの入り口。 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

思いつき」カテゴリの最新記事