和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

一遍上人からの眺望。

2012-05-21 | 短文紹介
うん。最初は東日本大震災についての本を読み始めた際でした。
ドナルド・キーン氏が

「・・自分の専門である日本文学の中に一体どれほど災害を記録した文学、小説があったかを調べてみる。すると長い歴史の中で、『方丈記』しかないと思えるほど、とても少ないのだ。これは不思議な発見だった。・・・悲惨で恐ろしい出来事は文学の題材に相応しくないと考えられたのかも知れない。」(2012年1月1日・朝日新聞文化欄)

こう、あったのでした。
うん、そうだなあと思いながら
その悲惨で恐ろしい流れは、宗教へと流れこんでいるのじゃないか、
などと思っておりました。

さてっと、
一遍上人について読んでいると、その歴史的な眺望がひらけた気がしています。
司馬遼太郎著「以下、無用のことながら」(文藝春秋。文春文庫)に
談話筆記ということで「浄土 日本的思想の鍵」という文が掲載されておりまして、そこに、
「・・・観阿弥(1333~84)、世阿弥(1363~1442)は、正式に言うと観阿弥陀仏、世阿弥陀仏ですが、時宗の人だったのです。なぜ彼等が時宗の徒であるかというと、これは日本の浄土思想と社会秩序の問題ですが、彼等は非僧非俗であり、阿弥陀仏という名をつけただけで、無階級の人間になれるのです。すばらしいことだと思います。無階級のことを方外(ほうがい)と言い、そういう人を方外の人といいました。方外の人になれば、将軍と同座して、お能の話とかできるということになるのです。
室町時代の将軍は、銀閣をつくった東山(足利)義政(1436~90)もそうでしたが、義政はお庭をよく造りました。その庭師はほとんど、阿弥が付いていました。あれは将軍と対等というか同じ場所で、石をどうしますかとか話さなければならない。それには阿弥を付けて方外の人にならないと、お大名でもできないのに、将軍と対等に作庭について意見を交換することはできません。義政は自室に『和光同塵』という扁額をかかげていたといわれます。【 仏の前では自分をふくめて衆生はみな平等 】という仏教語です。・・・」(単行本p226)

余談になりますが、「以下、無用のことながら」には
「浄土 日本的思想の鍵」のつぎに「蓮如と三河」があり、
そのつぎにコロンビア大学のドナルド・キーン日本文化研究センターで講演したとされる「日本仏教小論 伝来から親鸞まで」が載っております。

世阿弥については
中央公論2011年7月号に
ドナルド・キーン氏の「日本国籍取得決断の記」という3ページほどの文があり、コロンビア大学での最後の授業にもふれられておりました。
すこしそこを引用してみます。

「今季の私のクラスでは能楽の謡曲を読む授業が予定され、11人の学生が登録していた。中国経済の台頭によって、海外の大学では日本に対する感心がすっかり衰えたと日本の人々が言う時もあるが、11人という数は昨年の二倍にあたるし、学生の質も極めて高く、日本に対する関心が薄れていないのは歴然としていた。取り上げる謡曲は『船弁慶』『班女』『熊野(ゆや)』『野宮』『松風』である。この五つの謡曲の中で、比較的、簡単なのは『船弁慶』だが、残り四作は荘厳たる詩句の数々であり、それらを理解し、翻訳するのは学生にとって極めて難しい課題であるが、それでも脱落する者はいなかった。学生たちは授業に際して、長時間の学習を積んだに違いない。」(p189)

うん。世阿弥の謡曲も、一遍の時宗のひろがりのなかで読めば、ひろびろとした背景が理解を助けてくれそうです。一遍から世阿弥への眺望がひらけてきた気がします。

最後に
「司馬遼太郎が考えたこと 15」(新潮社)に「懐しさ」というドナルド・キーンさんについての文がありまして、そこからの引用。

「キーンさんは、若いころ、世阿弥の謡曲『松風』を読んだ。『日本文学のなかへ』によると、『「松風」を文学として最高のものと信じている』と言い、さらに『こんなことを書けば奇異に感じる人もいるだろうが』として、『私は日本の詩歌で最高のものは、和歌でもなく、連歌、俳句、新体詩でもなく、謡曲だと思っている。謡曲は、日本語の機能を存分に発揮した詩である。そして謡曲二百何十番の中で『松風』はもっとも優れている。私はよむたびに感激する。私ひとりがそう思うのではない。コロンビア大学で教え始めてから少なくとも七回か八回、学生とともに『松風』を読んだが、感激しない学生は、いままでに一人もいない。異口同音に『日本語を習っておいて、よかった』と言う。実際、どんなに上手に翻訳しても、『松風』のよさを十分に伝えることは、おそらく不可能であろう。・・・・』文学を読むというのは、精神のもっとも深い場所での体験である。日本語世界で、『松風』をこのようにして体験した人が幾人いるだろうか。」(平成4年4月)

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