和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

意外と谷啓。

2007-06-10 | Weblog
文藝春秋2007年7月号が出たところです。
ここに、谷啓さんによる追悼手記「植木等とのクレージーな日々」が掲載されておりました。ちょうど10ページほどの文。谷啓さんの人となりと、植木等との結びつきがスーッと飲み込めて、すんなりと納得。お互いの個性をカラッと振り返り、思い出の詰まった手記になっておりました。読んでよかった。

ところで、小林信彦著「日本の喜劇人」(新潮文庫)の、第七章はクレージー・キャッツを紹介しておりました。小林信彦さんは「異才・谷啓」(p165)と書き、そして「私は谷啓のファンだった」(p183)と書いております。

追悼手記は読んでのお楽しみなのですが、一箇所ぐらいは紹介しておきましょう。それは、クレージー・キャッツ結成前のことでした。谷啓と植木等は「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」で知り合いになります。

「ほどなくフランキーさんは日活の専属俳優になり、バンドどころではなくなってしまった。残った僕らはダンスミュージックばかりやらされて、ステージで面白いことをやろうという雰囲気ではなかった。意気消沈するぼくに、『よし、じゃあ俺の友達でおなじようなことをやりたがっている奴がいるから』と植木屋が紹介してくれたのが、ハナちゃんだった。・・・しかし、噂を聞きつけたスリッカーズのマネージャーが『ハナのところへ行ったら、業界で仕事ができないようにしてやるぞ』と、ぼくら二人を脅かしにきたのだ。単細胞のぼくは頭にきて『冗談じゃない。上等じゃねえか』と啖呵をきって、次の日が給料日だったのに、そのまま二度とスリッカーズには行かなかった。ところが一方の植木屋は、スリッカーズのマネージャーとは『向こうに行かねえだろうな』『ああ行きませんよ』という会話をしつつ、ハナちゃんの『おまえ、いつになったら来るんだ』という質問には『来月、来月』と答え続けている。結局、移籍してきたのは一年後だった。いかにも植木屋らしい話だ。たしかに二人して辞めたら、スリッカーズには大迷惑がかかる。植木屋は感情に走らず、大人の選択をしたのだと思う。こっちはまだまだガキだった。でも後年、植木屋はこのときのことを『谷啓って、意外と男っぽいんだよ。なんてったって明日給料日なのに、スパッと辞めちゃうんだから・・・』と語っていたらしい。」(p168)

それからあとの追悼手記は、意外な谷啓のオンパレード。
あとは読んでのお楽しみ。つまり植木等を追悼するということは、
ひとえに、ご自分を振り返ることだった。そんな交際の手記になっており。
谷啓自身との結びつきを、改めてたどりなおすという内容なのでした。
そして、読みおえると、カラッとした演奏を聞いたような後味。

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