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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

絵本と徒然草。

2023-04-25 | 本棚並べ
紫紅文庫に、『奈良絵本』の上下巻。
その帯には、「 かつて奈良絵本は『テレビ』だった――
        江戸時代の人々を魅了した傑作を集大成 」とある。

文庫で、小さいながら、カラー絵なのがうれしい。
パラパラめくっていると、下巻には「徒然草」も入っている。
う~ん。工藤早弓氏の「はじめに」はこうはじまっておりました。

「本来の奈良絵本には、未完で荒けずりな魅力がある。
 奈良絵本が発生した中世の半ばは、古代の影を背負いながら
 近世へとむかう人々の、混沌とした生への息吹に満ち満ちていた。

 それは言い換えるなら、〈 もののあはれ 〉から〈 をかし 〉
 の世界への転換期だったのである。・・・  」

この本の下巻に登場している「徒然草」は
江戸時代前期~中期のもので、説明には

「漆塗りの元箱に入った極美本。
 流布しているものと同文だが、
 長い章段になると省略している個所もある。
 『徒然草』そのものを読むというより、
 絵本として楽しむために作られたようだ。
 持ち主はやんごとなき姫君か、若殿だったろうか・・ 」(p204)

うん。江戸時代になると、嫁入り道具に入っていたりしたそうです。
室町時代とは、だいぶ変遷があるのでした。

ところで、徒然草といえば、思い浮かぶ言葉がありました。

「 平安、鎌倉は説話文学の全盛期です。
  説話文学の本の名前を挙げていくだけで・・十以上ある。
 『今昔物語』もここら辺です。

  ところが、たくさんある説話文学のほとんどを兼好が引用していない。
  知っていたはずなのに、それを一切退け、そこに書いてないことを
  書いてやろうという独創性を意識している。

  今回、調べて、そこまで徹底していたかと感心しました。
  兼好の作家魂といいますか、表現意欲といいますか、
  それは並々ならぬものであったと思います。 」(p12)

これは対談での谷沢永一氏の言葉でした。
( 渡部昇一・谷沢永一対談「平成徒然草談義」PHP研究所・2009年 )

うん。この文庫の帯にある
「かつて奈良絵本は『テレビ』だった・・」を敷衍すれば、江戸時代には
とうとう、徒然草も映像化されたのか、といったところでしょうか。
コメント (2)
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