3月8日の新聞3紙の書評欄拝見。
読売の書評欄で気になった本は
長野浩典著「生類供養と日本人」(弦書房)。
評者は平松洋子。
その書評の最後は
「十年を費やしたこの労作は、
著者が顧問を務める高校の
『郷土研究部』の部活動で、
近くの神社にウミガメの墓を
発見したことに端を発するという。
高校教育の現場の実践が、
日本人の思想のありかたに
分け入る書物の誕生を促したわけで、
その意味でも価値ある一冊だ。」
この書評には、気になる文句がある
「日本人は罪悪感という煩悩に
とことん弱いらしい。」
産経新聞はというと、
中田行彦著「シャープ『液晶敗戦』の教訓」
(実務教育出版)
評者は山崎元(経済評論家)。
書評に
「著者は、長年シャープで太陽電池と
液晶に関わった技術者であると同時に
経営学者でもあり、このテーマを語るに
最もふさわしい方だといえよう。」
書評の最後は
「この種の本にありがちな
『あの社長がダメだった』式の悪口が
一切ないので、失敗の物語なのだが、
読後感は爽やかだ。」
ちなみに産経では
『聞きたい。』欄に猪瀬直樹氏の顔写真。
著書『救出』が取り上げられています。
さてっと、毎日では
鹿島茂氏の書評がある。取り上げたのは、
佐谷眞木人著「民俗学・台湾・国際連盟」。
書評の出だしと、最後を引用。
「『武士道』の著者である新渡戸稲造と
民俗学の開祖・柳田國男。」
「国内では地方再生が叫ばれ、
国外では植民地統治の裏返しである
移民受け入れが大きな問題になっている
今日、非常に示唆に富む一冊である。」
閑話休題。家の少ない蔵書を
あちこちと、本をさがしていると、
忘れていた別の本が見つかったりします
(まあ、探し本は見つかりません)。
その別の本はというと、昨日では
魚返善雄著「漢文入門」(現代教養文庫)
でした。
この文庫の最後に「父魚返善雄の思い出」
として昭子さんの文。
その文の印象深い箇所。
「・・本ができ上がった時の喜び方は、
無邪気と言おうか、素朴と言おうか。
その日は、食卓は白いテーブルクロスで
おおわれる。ビニールは厳禁。そして
ささやかな花。可能ならば野の花。・・
乾杯がすめば新しい本の贈呈式である。
第一冊めは彼を育てた、彼の『おばあさん』の
写真に贈られる。
第二冊めは、この前の著書に、一番
心をこめた返事を下さった方に。
第三冊めは自分の校訂用に。
たとえ、それが五十冊めの著書であろうと、
六十冊めであろうと、この行事には、
いささかの変更もなかった。」
今日から、このブログのカテゴリー欄に
「書評欄拝見」を追加。
書評を読んでも、買うか、どうかは別。
すぐ買いたいと思う本もあり。
すぐ買ってもまったくの未読本もあり。
数年して、この欄を読み直して
ネット古書店へと注文する本も
あるかもしれない(笑)。
それにしても、気になるのは
「第二冊めは、この前の著書に、
一番心をこめた返事を下さった方に。」
という箇所。
こういう情景が、思い浮かばない、
自分の頭の中の殺風景さ。
それが少しでも改まりますように。
読売の書評欄で気になった本は
長野浩典著「生類供養と日本人」(弦書房)。
評者は平松洋子。
その書評の最後は
「十年を費やしたこの労作は、
著者が顧問を務める高校の
『郷土研究部』の部活動で、
近くの神社にウミガメの墓を
発見したことに端を発するという。
高校教育の現場の実践が、
日本人の思想のありかたに
分け入る書物の誕生を促したわけで、
その意味でも価値ある一冊だ。」
この書評には、気になる文句がある
「日本人は罪悪感という煩悩に
とことん弱いらしい。」
産経新聞はというと、
中田行彦著「シャープ『液晶敗戦』の教訓」
(実務教育出版)
評者は山崎元(経済評論家)。
書評に
「著者は、長年シャープで太陽電池と
液晶に関わった技術者であると同時に
経営学者でもあり、このテーマを語るに
最もふさわしい方だといえよう。」
書評の最後は
「この種の本にありがちな
『あの社長がダメだった』式の悪口が
一切ないので、失敗の物語なのだが、
読後感は爽やかだ。」
ちなみに産経では
『聞きたい。』欄に猪瀬直樹氏の顔写真。
著書『救出』が取り上げられています。
さてっと、毎日では
鹿島茂氏の書評がある。取り上げたのは、
佐谷眞木人著「民俗学・台湾・国際連盟」。
書評の出だしと、最後を引用。
「『武士道』の著者である新渡戸稲造と
民俗学の開祖・柳田國男。」
「国内では地方再生が叫ばれ、
国外では植民地統治の裏返しである
移民受け入れが大きな問題になっている
今日、非常に示唆に富む一冊である。」
閑話休題。家の少ない蔵書を
あちこちと、本をさがしていると、
忘れていた別の本が見つかったりします
(まあ、探し本は見つかりません)。
その別の本はというと、昨日では
魚返善雄著「漢文入門」(現代教養文庫)
でした。
この文庫の最後に「父魚返善雄の思い出」
として昭子さんの文。
その文の印象深い箇所。
「・・本ができ上がった時の喜び方は、
無邪気と言おうか、素朴と言おうか。
その日は、食卓は白いテーブルクロスで
おおわれる。ビニールは厳禁。そして
ささやかな花。可能ならば野の花。・・
乾杯がすめば新しい本の贈呈式である。
第一冊めは彼を育てた、彼の『おばあさん』の
写真に贈られる。
第二冊めは、この前の著書に、一番
心をこめた返事を下さった方に。
第三冊めは自分の校訂用に。
たとえ、それが五十冊めの著書であろうと、
六十冊めであろうと、この行事には、
いささかの変更もなかった。」
今日から、このブログのカテゴリー欄に
「書評欄拝見」を追加。
書評を読んでも、買うか、どうかは別。
すぐ買いたいと思う本もあり。
すぐ買ってもまったくの未読本もあり。
数年して、この欄を読み直して
ネット古書店へと注文する本も
あるかもしれない(笑)。
それにしても、気になるのは
「第二冊めは、この前の著書に、
一番心をこめた返事を下さった方に。」
という箇所。
こういう情景が、思い浮かばない、
自分の頭の中の殺風景さ。
それが少しでも改まりますように。