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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

会議をしている。

2011-04-13 | 短文紹介
産経新聞4月13日。
櫻井よしこ氏の「菅首相に申す」で

「たしかに首相は大災害派生以降19もの新たな会議を作った。・・・西岡武夫参院議長は菅首相の対処を見て、図らずも、『いつまで会議をしているのか』と問うた。・・」


話題をかえます。八木秀次氏の「大新聞の『震災報道』」(週刊ポスト4・15号)に
「3月16日に流された天皇陛下のビデオメッセージの扱いについても、各紙の性格の違いを際立たせた。朝日以外は一面で報じましたが、意外にも日経は『苦難の日々 分かち合う』(3月17日付朝刊)の見出しで、お言葉の全文を一面に掲載していた。産経でも全文は三面に移していたので、これには驚きました。」(p48)

新聞は、すべて読んでいないので、こういう情報は助かります。
ちなみに、文芸春秋5月号は侍従長川島裕氏の「天皇皇后両陛下の祈り 厄災からの一週間」は、両陛下のご様子を記すまえに、「文中において、(天皇陛下の)お言葉の一部分だけを引用することは避けたいと思ったので、『文芸春秋』側に、この号に於いて、お言葉の全文を掲載することをお願いした。」とあり、その全文を、まず引用して、侍従長の文は始まっておりました。

歴史通5月号には佐々淳行氏による「天皇 最高の危機管理機構」と題して、ご自身の経験を通じての、その胸のうちを披瀝されており読み甲斐があります。

古くなりますが、丸谷才一氏の「ゴシップ的日本語論」にある箇所を思い浮かべます。

「部員がみんな集って、真ん中に池島(信平)さんがいて、会議がはじまる。端から一人ひとりに、『何かいいプランはないか。思いついたことはないか』と訊ねる。Aは・・てなことを言う。それに対して、『みんな、意見はどうだ』と池島さんが聞いて、みんながいろいろ言う。それを『うん、うん』と言って聞いているんだそうです。・・・」

それをB君から・・・PQRSと、Sが意見を言うまで、池島さんが全部聞き終わると、「そうか。わかった」と言って、「じゃあ、今日はこれで」と会議を終える。

「翌日、池島さんは出社しない。家でごろりと横になって、考えたんでしょう。・・その翌日、つまり、編集会議から考えて翌々日ですね。社に現れる。と、採用する提案をした編集部員だけを局長室に呼ぶ・・・そういう調子で、池島さんに呼びこまれて命令をくだされた人間の情報を全部集めると、来月号の姿かたちがおぼろげにわかってくる。・・・この池島式編集会議の方式、ぼくは、これはかなり意味のある会議の仕方じゃないかと思うんですね。・・・・・編集長が全責任を負う性格のものでありますから、編集会議の場で多数決で決めたって意味がないわけです。ですから編集長が一日じっくり考えて全部自分の責任でやるという・・・いはゆる会議ってものと編集長主義的な決断を重んじる性格との総合として意味があるやり方じゃないかと、ぼくは思いました。
それで、さっきの『天皇陛下大いに笑ふ』の話にもどります。」

こうして、このあとに文芸春秋にどうして『天皇陛下大いに笑ふ』が掲載されることになったかを語るってゆくのでした。
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