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和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

それは、いけない。

2010-02-11 | 他生の縁
2月9日に米沢市の古本屋より「福原麟太郎著作集」全12巻が届く。
函入り、月報付。それで6000円に送料500円の6500円。
本に蔵書印が各冊についており、見返しに書き込みあり。
そのために安いのですが、本文はきれいで、ありがたい。
一冊だけ赤ラインがひいてあるのですが、気にならない。

ところで、その第8巻の編集後記を外山滋比古氏が書いております。
そこからすこし引用。

「若いときに書かれたものにはするどい個性と才能が表面に出ており、文章も思考も花やかであるが、年とともに円熟し、地味な大いなるもの、典型的なものの世界に関心が移っていっているのが感じられる。・・・・
個性は近代的なものであるが、典型は時代を超える。著者の文業は小さな個性を克服することによって古典的性格を得ることになった。その『おもしろさ』は典型に参入し得たもののみが感じさせることのできる重みと広がりのある『おもしろさ』である。」


さて、このくらいにして、
この8巻の月報を引用させてください。
ちなみに、月報の文字「福原麟太郎著作集」は福原麟太郎氏ご自身の題字で印象深い。
さて、月報の最初は安藤鶴夫。題は「ご縁」。
こうはじまります。

「都新聞という、生粋の、東京ローカル紙があった。文化部に、早田秀敏という映画記者がいた。・・・・この早田秀敏が、いつも、まるで、神さまのように、尊く、ありがたく思っているひとに、飛田穂洲と福原麟太郎の、両先生があった。・・・
その秀敏が、ある時、福原先生の書かれたものを読んでいるのか、と、たずねた。わたしとは、どッこい、どッこいの、酒のみの多い文化部の中でも、名だたる大酒のみで、よく、しらしら明けまで、一緒にのんだ。独身で、結局、その酒のために、いのちを落とした。酒と早稲田の野球と、本と、映画の好きな男であった。
その時分、わたしは、福原先生の文章を、読んではいなかった。正直に、そういったら、秀敏は、わたしを、まるで、叱るように、だめだ、と、いった。酒をのんでも、大きな声にならない男で、そんないいかたをする男ではなかった。それが、まことに、めずらしいことに、わたしを叱るように、そういった。お前が、福原先生を、読んでいないッてことはない、それは、いけない、と、いうのである。秀敏は、まったく、めずらしく、激しい語調で、なんども、そういった。・・・」

ちなみに、この第8巻月報は昭和44年10月とあります。
編集部が、安藤氏の文章のあとに、原稿用紙の安藤氏の文を写真入りで載せて、
あわせて添書きがしてありました。

「この原稿は、8月24日群馬県の四万温泉から郵送されました。御帰京後、電話で安藤先生の元気なお声を聞くことができましたのに、9月9日には、突然、悲しい知らせに接しました。謹しんで御冥福をお祈りいたします。」
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