親戚・近所から柿をもらいました。それぞれ家になった柿です。
台所の流しの出窓に、その柿が積んである。
ということで、柿の話がしたくなりました。
カレンダーは、ここ数年「富山和子がつくる日本の米カレンダー」を掛けております。その11月は「柿と伊吹山」と題した小文が添えてあります。写真はというと白く雪をかぶりはじめた伊吹山を背景にして前に柿の木が写っております。柿の葉はすっかり落ちて、枝の隅ずみまで柿がなっているのでした。そして、カレンダーに添えられた小文を引用してみます。
柿は日本原産の果物
日本を起源として世界中に広まった木
保存食になり葉もヘタも薬用になり
柿渋は塗料になり
日本中に植えられた
カキの語は「ディオスピロス カキ」という
学名にもなっている
日本の並木道の歴史は古いが
始まりは柿や梨など果物のなる木の並木
古代、街道に植えさせたもので
飢えた旅人を救うためだった
豪雪で知られ
日本武尊や信長ゆかりの霊峰伊吹山の
この雪姿を背に色づいた柿を見ると
深まり行く日本の秋の
原風景を思う
う~ん。いままで、あまり気にしないでカレンダーの写真を見ておりましたが、何げなくも小文と呼応しているように思える瞬間。あらためて写真を眺めておりました。身近に住んでおられる人が目にしている、そんな何げない視線で伊吹山がとらえられており、何げなく見逃しちゃうところでした。
柿といえば、正岡子規を思うわけです。
その明治28年の句を引用してみましょう。
川崎や梨を喰ひ居る旅の人
柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
渋柿やあら壁つづく奈良の町
渋柿や古寺多き奈良の町
うん。古寺といえば、和辻哲郎著「古寺巡礼」がありますね。
大正8年に出版されております。たしか、明治維新以来捨てて顧みられなかった奈良付近の古寺を訪ねた印象記でしたですよね。
ということで、また正岡子規の句にもどります。
町あれて柿の木多し一くるわ
柿ばかり並べし須磨の小店哉
村一つ渋柿勝(がち)に見ゆるかな
嫁がものに凡(およ)そ五町の柿畠
道後
温泉(ゆ)の町を取り巻く柿の小山哉
法隆寺の茶店に憩ひて
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
ところで、家の台所にある柿の話。まじかに柿の色をみていると飽きないですね。ところが、むくのはめんどくさい。一日一個食べていけば、なくなるはずなのですが、でもどうしてか残っている。食べなきゃと思いながら、そのうち中身が熟した柿を、どうしても食べるはめになる。
最近の産経新聞11月18日産経歌壇の小島ゆかり選のはじめに
てっぺんは鳥たちのもの背のびして少し私に欲しい熟れ柿 成田市 伊藤紀子
選評はというと、
「『てっぺんは鳥たちのもの』という伸びやかな表現が、読者をぐんと引きつける。鳥を主役にしたことで、この『熟れ柿』に特別な魅力が生まれた。」
短歌だけじゃいけないでしょう。俳句も引用しましょう。
日経新聞11月18日の連載「詩歌のこだま」。
坪内稔典さんが書いております。そのはじまりの箇所にも柿が。
「『生きるために、一句』(講談社)。ちょっと変った題名の本だが、これがとてもおもしろい。俳句の言葉の生き生きとした表情をよくとらえている。たとえば、野見山朱鳥(あすか)の『いちまいの皮の包める熟柿かな』について著者は断言する。『とびっきりの名句です』。どこが名句なのか。『いちまいの皮に包まれているからこそ熟柿なのだということを読者に気づかせてくれます』。つまり、薄い一枚の皮が熟柿の命を包んでいるのだ。この熟柿、てのひらにのせるとずっしりと重いのだろう。・・・」
台所の流しの出窓に、その柿が積んである。
ということで、柿の話がしたくなりました。
カレンダーは、ここ数年「富山和子がつくる日本の米カレンダー」を掛けております。その11月は「柿と伊吹山」と題した小文が添えてあります。写真はというと白く雪をかぶりはじめた伊吹山を背景にして前に柿の木が写っております。柿の葉はすっかり落ちて、枝の隅ずみまで柿がなっているのでした。そして、カレンダーに添えられた小文を引用してみます。
柿は日本原産の果物
日本を起源として世界中に広まった木
保存食になり葉もヘタも薬用になり
柿渋は塗料になり
日本中に植えられた
カキの語は「ディオスピロス カキ」という
学名にもなっている
日本の並木道の歴史は古いが
始まりは柿や梨など果物のなる木の並木
古代、街道に植えさせたもので
飢えた旅人を救うためだった
豪雪で知られ
日本武尊や信長ゆかりの霊峰伊吹山の
この雪姿を背に色づいた柿を見ると
深まり行く日本の秋の
原風景を思う
う~ん。いままで、あまり気にしないでカレンダーの写真を見ておりましたが、何げなくも小文と呼応しているように思える瞬間。あらためて写真を眺めておりました。身近に住んでおられる人が目にしている、そんな何げない視線で伊吹山がとらえられており、何げなく見逃しちゃうところでした。
柿といえば、正岡子規を思うわけです。
その明治28年の句を引用してみましょう。
川崎や梨を喰ひ居る旅の人
柿落ちて犬吠ゆる奈良の横町かな
渋柿やあら壁つづく奈良の町
渋柿や古寺多き奈良の町
うん。古寺といえば、和辻哲郎著「古寺巡礼」がありますね。
大正8年に出版されております。たしか、明治維新以来捨てて顧みられなかった奈良付近の古寺を訪ねた印象記でしたですよね。
ということで、また正岡子規の句にもどります。
町あれて柿の木多し一くるわ
柿ばかり並べし須磨の小店哉
村一つ渋柿勝(がち)に見ゆるかな
嫁がものに凡(およ)そ五町の柿畠
道後
温泉(ゆ)の町を取り巻く柿の小山哉
法隆寺の茶店に憩ひて
柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺
ところで、家の台所にある柿の話。まじかに柿の色をみていると飽きないですね。ところが、むくのはめんどくさい。一日一個食べていけば、なくなるはずなのですが、でもどうしてか残っている。食べなきゃと思いながら、そのうち中身が熟した柿を、どうしても食べるはめになる。
最近の産経新聞11月18日産経歌壇の小島ゆかり選のはじめに
てっぺんは鳥たちのもの背のびして少し私に欲しい熟れ柿 成田市 伊藤紀子
選評はというと、
「『てっぺんは鳥たちのもの』という伸びやかな表現が、読者をぐんと引きつける。鳥を主役にしたことで、この『熟れ柿』に特別な魅力が生まれた。」
短歌だけじゃいけないでしょう。俳句も引用しましょう。
日経新聞11月18日の連載「詩歌のこだま」。
坪内稔典さんが書いております。そのはじまりの箇所にも柿が。
「『生きるために、一句』(講談社)。ちょっと変った題名の本だが、これがとてもおもしろい。俳句の言葉の生き生きとした表情をよくとらえている。たとえば、野見山朱鳥(あすか)の『いちまいの皮の包める熟柿かな』について著者は断言する。『とびっきりの名句です』。どこが名句なのか。『いちまいの皮に包まれているからこそ熟柿なのだということを読者に気づかせてくれます』。つまり、薄い一枚の皮が熟柿の命を包んでいるのだ。この熟柿、てのひらにのせるとずっしりと重いのだろう。・・・」