いい人

2011年10月11日 | マイナスオーラが出てます。
3連休の頭、一頻りどんちゃんした後、裏議会がありました。
一部の人しか分からないお話。

私はよく「いい人」、「いい人そう」って言われます。
まぁ、一般的に言う「いい人」と私の生き方がたまたまリンクしただけだ。

いい人は尊敬されやすい。
尊敬されるのはいいことか?
尊敬されれば少なからず人から距離を置かれる。
こちらが近づけば距離をとられ、
「またまた、ご冗談を。いい人であるアナタがそんなはずはない」とひらりひらりと交わされる。
「尊敬」、「いい人」という目立つシールを貼り付けられても、
放り込まれるのは「その他大勢」という箱の中。
「いい人」というシールを貼られた瞬間、永遠にただの「いい人」でしかない。
もう、それ以外にはなれない。
辛い、苦しい、悔しい
もう、「いい人」なんてやめたい。
でも、やめられない。どうしたらやめられるのか分からない。
それ以外の生き方を私は知らない。
何を伝えようとしても「いい人」という括りで自分を判断される。

このことを思うと泣きそうになる。
実際、これを書いている今も胸は締め付けられるように苦しい。目からポロポロ涙が出てくる。
「いい人」というレッテルを貼った人にとって私は苦しさや辛さをもたない。
特定の誰かを好きになったりはせず、皆を愛する「いい人」という器に入れられた「何か」でしかない。
こんな生き方をずっとしてきたはずなのに、身体はいつまでたっても慣れてくれない。

こんなことを外に表現しようなんて考えなかった。
だって、こんなヤツ、すげーめんどくさいじゃん。

でも、こうやって自分が人間離れしていってることも分かった。
辛い、苦しい、悔しいって感情も含めて人間なのに、それを殺してニコニコして。
今、こんなことを言っても相手が困るだけだとずっと我慢して、1人で泣いて。

私が好きな「ARMS」って漫画で自分の気持ちや感情を押し殺し続ける主人公に仲間が
「お前、心まで化け物になりたいのか」って言うところがあるけど、それを思い出した。

いろんな感情があって人間なのに私はいろんな事を押し殺している。
だから、「いい人だけど近寄りがたい」、「現実離れした、いい人」になってしまっているんだと。
だから、それを押し殺さずに素直に自分の思いを気持ちを表現できるための一歩として書いてみた。

思いや気持ちを伝えることで相手に見返りを求めてるわけじゃないんだ。
自分の思いに応えて欲しいわけじゃない。

楽しい、苦しい、怒り、悲しみ、好き、嫌い

せめて、自分がどう思っているか、どういう気持ちでいるかを正確に伝えることができるようになりたい。

いつまでも「いい人」という括りだけで私という人間が判断されてしまわないように。
コメント (6)
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