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武侯北伐 28

2023-12-28 07:03:56 |  三国志
蜀軍の別動隊は西羌の戦車部隊の前に大敗北をきっし、孔明がみずから西平間へむかうこととなった。


ところで、吉川英治『三国志』の連載開始は1937年8月であるから、日中戦争におもむいている日本兵のおおくはこれを読んでいるはずだ。西羌との戦いは1939年5月〜9月のノモンハン事件をほうふつとさせるものである。以下、抜粋。

「『かくて西平間に着くや、孔明は、直ちに出迎えた馬岱を案内として、高地にのぼり、羌軍の軍容を一眄した。そしてかねて聞く無敵鉄車隊の連陣をながめると、呵々と一笑し、『量るに、これはただ器械の力。これしきの物を持つ敵を破り得なくてどうしよう。姜維はどう思うか』 と、傍らを見てたずねた。」



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武侯北伐 27

2023-12-28 06:40:26 |  三国志

祁山で大敗北をきっした魏軍は頽勢をたてなおし、渭水まで前線を後退させるいっぽう、西羌の異民族に蜀軍の背後をつかせることとした。以下、吉川英治『三国志』より抜粋。

「欧州、土耳古、埃及、などの西洋との交流が頻繁で、その文化的護、中国大陸よりも逆に早くうけていたこの羌族軍は、すでに鉄で外套した戦車や火砲を持ち、アラビヤ血種の良い馬を備え、弓弩槍刀もすべて優れていたといわれている。」

「軍中の荷駄には駱駝を用い、またその上に長檜をひっさげてゆく駱駝隊もあった。騎駝の首や鞍には、沢山な鈴をさげ、その無数の鈴の音と、鉄戦車の轍の音は、高原兵の血をいやが上にも昂ぶらせた。」

「『羌軍は驚くべき装備をもっている。あれを破るのはたいへんだ』まず高地に立って、敵勢を一望して来た関興は、舌を巻いた容子で、馬岱と張苞にむかい、『鉄車隊とでもいうか、鋼鉄をもって囲んだ戦車をつらねている。鉄車のまわりには、各箇、針鼠のように釘の如き棘を一面に植え、中に兵が住んでいる。どうしてあれを撃 滅できようか。容易ならない強敵だ』と、溜息ついて話した。」



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武侯北伐 26

2023-12-28 00:01:10 |  三国志
夏侯楙にかわって曹真が魏軍をひきいることとなった。副将には郭淮、軍師には王朗があてられた。魏軍2万は渭水をわたり、祁山の前面に布陣した。

(引用者注:蜀軍はいったん制圧した安定・天水・南安を放棄してしまったのだろうか?)

対陣初日、軍師王朗が孔明との論戦に敗け、噴死。その夜、曹真は軍を二手に分け、別動隊に祁山の背後をつかせようとしたが、この動きはすべて孔明の読みどおりであった。


(以下、吉川英治『三国志』より抜粋)

すでに魏兵のうしろには、いたるところ、蜀軍が馳け迫って、烈しくその隊尾から撃滅の猛威を加えていたのである。蜀の馬岱、王平などに加えて、夜襲に向った筈の張嶷、張翼なども急に引っ返してきて、後方を断ち、そしてほとんど、全魏軍を袋の鼠としてしまったのである。曹遵、朱讃の勢は、したたかに討たれ、また炎の中に焼け死に踏みつぶさたものも数知れなかった。そしてこの二人の大将すらわずか数百騎をつれたのみで、からくも逃げ帰ったほどだった。

しかもまた、その途中にも、趙雲の一手が道を遮って、なお完膚なきまで、殲滅を期すものあり、さらに、魏の本陣へ戻って見れば、ここも関興、張苞の奇襲に遭って、総軍潰乱を来しているという有様である。何にしても、この序戦は、慘澹たる魏の敗北に始まって全潰状態に終り、大都督曹真もやむなく遠く退いて、おびただしい負傷者や敗兵を一たん収め、全編隊の再整備をなすのやむなきに立ち到った。




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武侯北伐 25

2023-12-24 20:53:54 |  三国志
「演義(というか吉川英治『三国志』)」によると、夏侯楙は姜維をうたがい、天水から追放したやむを得ず蜀軍にくだった姜維に、孔明は兵法の奥義を伝授したという。

「演義」によると蜀軍は①安定、②南安、③天水の順に攻略し、さらに祁山で曹真をむかえうつこととなる。


「正史」によると、姜維がくだったのは、孔明が三郡を平定したあと。姜維が取り立てられたのはさらに後年のこととなるようだ。


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武侯北伐 24

2023-12-24 12:56:22 |  三国志
裴緒が偽の使者であることを見破って、馬遵の出撃をおしとどめたのは姜維という若武者であった。さらに姜維は城外に伏せる趙雲の勢を急襲し、これを敗退せしめた。やむを得ず孔明はみずから全軍をひきいて天水の攻略にとりかかる。


(以下、引用。)

各部の部将にたいしその孔明はかく訓示して押し寄せた。壕をわたり、城壁にとりつき、先手の突撃はさかんなるものだった。けれど城中は寂として抗戦に出ない。すでに一手の蜀軍は城壁高き所の一塁を占領したかにすら見えた。

すると、轟音一声、たちまち四方の櫓から矢石は雨のごとく寄手の上に降ってきた。なお壕の附近にある兵の上には、大木大石が地ひびきして降ってきた。

昼の間だけでも、蜀軍はおびただしい死傷者を壁下に積んだ。さらに、夜半の頃に及ぶや、 四方の森林や民家は炎々たる焰と化し、鬨の声、鼓の音は、横にも後にも、城中に湧きあがり、四面まったく敵の火の環と鉦鼓のとどろきになったかの思いがある。

「心憎き前立てではある。遺憾ながらわが兵は疲れ、彼の士気はいよいよ昂い。如かず、明日を期せん」

ついに孔明も総退却を令せざるを得なかった。彼自身も急に車を後ろへかえした。



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