TOY VOX

管理人VOX6336が昭和レトロな遊びをするだけのブログです。スマートフォンでの閲覧推奨。

武侯北伐 30

2024-01-03 22:14:00 |  三国志
以後の展開。孔明の奇策により西羌の戦車部隊は全滅。西方の異民族は蜀に帰服した。
魏皇帝は司馬懿に出馬を要請。司馬懿は電光石火のはたらきで孟達の謀反を未然におわらせる。
司馬懿はさらに「街亭をおさえれば蜀軍は撤退するしかない」ことに気が付き、張郃を向かわせる。しかしここにはすでに馬謖が陣をしいていた。

張郃は山の上に陣取る蜀軍の水の手を断ち、これを打ち破る。やむをえず、孔明は全軍撤退を命じた・・・という流れ。

「武侯北伐」には西羌のユニットは出て来ないし、シナリオ1には司馬懿も出て来ないので、このゲームで吉川英治『三国志』五丈原の章を再現するのは難しいようだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武侯北伐 29

2024-01-03 00:45:35 |  三国志
数十年ぶりに吉川英治『三国志』を読んでいて、(あれ?こんな話だったっけ??)と当惑している次第である。

ちょうど先ほど、年末に録画してあった朝ドラ『ブギウギ』総集編を見て察したのだが、やはり戦争中は自由な表現活動が規制されてしまうのだろうな。

吉川英治『三国志』における西羌の戦車部隊は、ノモンハン事件のときのソ連軍を想起させるものであるが、そもそも原作(羅貫中『三国志演義』)にこんな展開はあるのだろうか。

西羌の軍をひきいる「元帥」と呼ばれる人物に政治将校(コミッサール)らしきものが付けられているのも、ソ連の軍事編成っぽいような気がする。考えすぎか。





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武侯北伐 28

2023-12-28 07:03:56 |  三国志
蜀軍の別動隊は西羌の戦車部隊の前に大敗北をきっし、孔明がみずから西平間へむかうこととなった。


ところで、吉川英治『三国志』の連載開始は1937年8月であるから、日中戦争におもむいている日本兵のおおくはこれを読んでいるはずだ。西羌との戦いは1939年5月〜9月のノモンハン事件をほうふつとさせるものである。以下、抜粋。

「『かくて西平間に着くや、孔明は、直ちに出迎えた馬岱を案内として、高地にのぼり、羌軍の軍容を一眄した。そしてかねて聞く無敵鉄車隊の連陣をながめると、呵々と一笑し、『量るに、これはただ器械の力。これしきの物を持つ敵を破り得なくてどうしよう。姜維はどう思うか』 と、傍らを見てたずねた。」



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武侯北伐 27

2023-12-28 06:40:26 |  三国志

祁山で大敗北をきっした魏軍は頽勢をたてなおし、渭水まで前線を後退させるいっぽう、西羌の異民族に蜀軍の背後をつかせることとした。以下、吉川英治『三国志』より抜粋。

「欧州、土耳古、埃及、などの西洋との交流が頻繁で、その文化的護、中国大陸よりも逆に早くうけていたこの羌族軍は、すでに鉄で外套した戦車や火砲を持ち、アラビヤ血種の良い馬を備え、弓弩槍刀もすべて優れていたといわれている。」

「軍中の荷駄には駱駝を用い、またその上に長檜をひっさげてゆく駱駝隊もあった。騎駝の首や鞍には、沢山な鈴をさげ、その無数の鈴の音と、鉄戦車の轍の音は、高原兵の血をいやが上にも昂ぶらせた。」

「『羌軍は驚くべき装備をもっている。あれを破るのはたいへんだ』まず高地に立って、敵勢を一望して来た関興は、舌を巻いた容子で、馬岱と張苞にむかい、『鉄車隊とでもいうか、鋼鉄をもって囲んだ戦車をつらねている。鉄車のまわりには、各箇、針鼠のように釘の如き棘を一面に植え、中に兵が住んでいる。どうしてあれを撃 滅できようか。容易ならない強敵だ』と、溜息ついて話した。」



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

武侯北伐 26

2023-12-28 00:01:10 |  三国志
夏侯楙にかわって曹真が魏軍をひきいることとなった。副将には郭淮、軍師には王朗があてられた。魏軍2万は渭水をわたり、祁山の前面に布陣した。

(引用者注:蜀軍はいったん制圧した安定・天水・南安を放棄してしまったのだろうか?)

対陣初日、軍師王朗が孔明との論戦に敗け、噴死。その夜、曹真は軍を二手に分け、別動隊に祁山の背後をつかせようとしたが、この動きはすべて孔明の読みどおりであった。


(以下、吉川英治『三国志』より抜粋)

すでに魏兵のうしろには、いたるところ、蜀軍が馳け迫って、烈しくその隊尾から撃滅の猛威を加えていたのである。蜀の馬岱、王平などに加えて、夜襲に向った筈の張嶷、張翼なども急に引っ返してきて、後方を断ち、そしてほとんど、全魏軍を袋の鼠としてしまったのである。曹遵、朱讃の勢は、したたかに討たれ、また炎の中に焼け死に踏みつぶさたものも数知れなかった。そしてこの二人の大将すらわずか数百騎をつれたのみで、からくも逃げ帰ったほどだった。

しかもまた、その途中にも、趙雲の一手が道を遮って、なお完膚なきまで、殲滅を期すものあり、さらに、魏の本陣へ戻って見れば、ここも関興、張苞の奇襲に遭って、総軍潰乱を来しているという有様である。何にしても、この序戦は、慘澹たる魏の敗北に始まって全潰状態に終り、大都督曹真もやむなく遠く退いて、おびただしい負傷者や敗兵を一たん収め、全編隊の再整備をなすのやむなきに立ち到った。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする