ナポレオンは6月29日までの4日間をオルタンス妃と共にマルメゾンで空費した。
だが情勢は冷酷であり、パリ防衛総司令官ダヴー元帥は皇帝の怠慢が休戦交渉を妨げることを怒り、「奴が動かぬなら、自分が出向いて逮捕する」といきまくし、「ボナパルトを銃殺するのは人類への奉仕である」といきまくブリュッハー元帥30万の軍勢はすでに28日にパリに達し、軽騎兵1個連隊が早くもマルメゾンに接近しつつあった。
払暁、ナポレオンは何を思ったかフーシェに軍の指揮権をしばし貸してほしいと申し入れた。首都をとり巻くブリュッハー軍を叩きのめし、その足で亡命の途につきたいというのだが、「奴はわれらを愚弄する気か」とあっさり拒否された。
仕方なく4頭立ての黄色い馬車に乗り込み、64名の随行者からなる車馬の列を従えて、やっとマルメゾンを離れ、亡命の船の待つロシュフォールへと向かった(6月29日午後5時)。
(参考文献:両角良彦『セントヘレナ落日』)