パリではルイ18世が王位に復すると、即時にナポレオンの逮捕、財産の没収、一族の追放を下命した(7月8日)。訓令がフランス海軍司令官のもとに届いたのは、皇帝がイギリス行きを決断したのと同じ14日である。
ナポレオンの方はすでに12日から上陸禁止令を無視してエクス島に移動していた。そこへ事態の緊迫を知ったベケール将軍から急ぎ国土を離れられたいと促してきた。ナポレオンはベケールにせかされて、やっとエクス島を出た(7月15日午前3時)。
日が昇り、やがて9時ごろになると風が止み、舟足が鈍った。到着を待ちかねたメイトランド艦長は、出迎えに大型ボートを派遣する。ナポレオンがこれに移ると、フランス艦の乗組員たちは舷側に並び、「皇帝陛下万歳」を唱えた。
これを最後に、ナポレオンはフランスを去った。ルイ18世の派したナポレオン逮捕の特使がロシュフォールに到着したのはその3日後の7月18日のことだった。もしその手に捕らえられていたら、あるいは軍法会議で極刑の運命が待っていたかもしれないので、危ういところでブルボン家の復讐を免れ得たともいえる。
(参考文献:両角良彦『セントヘレナ落日』)