TOY VOX

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ワーテルロー 19

2021-03-15 04:10:27 |  ナポレオニック
【最近の学説】
 ナポレオンはグルーシィにプロイセン軍の追撃を命じたうえで自身はネイと合流し、こんどはイギリス軍へ主力をさしむけた。
 イギリス軍はブリュッセルから1日行程にあるモンサンジャンの丘陵地に陣をしいた。ウェリントンは「おそらくここでフランス軍をくいとめることはできないだろう(6月17日付、公爵夫人あての手紙による)」という見通しをした。

 リニー=カトルブラ間での防衛に失敗し、モンサンジャン=ワーブル間でフランス軍をむかえうつイギリス・プロイセン連合軍に勝つ見込みはあるのだろうか。

 ここで動いたのがプロイセン軍の参謀グナイゼナウだった。もともとプロイセン軍は「ナポレオンとは戦わない」というシャルンホルスト以来の方針(ライヘンバッハ・プラン)を徹底していたのだが、グナイゼナウはその方針に反しイギリス軍へ援軍を送るべきだ(ワーブルにクラウゼヴィッツをグルーシィへの抑えとしてのこして)とブリュッヒャーを説得したのである。
 こうして運命の6月18日がはじまる。




 

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ワーテルロー 18

2021-03-15 02:28:52 |  ナポレオニック
【最近の学説】
 6月15日、ナポレオンは先手をうってフランス=ベルギー国境をこえた。
 ブリュッヒャーはリニーでフランス軍をむかえうつこととし、ウェリントンは事前の打ち合わせ(5月上旬にティールモンで会合)どおりカトルブラへイギリス軍をすすめた。
 6月16日、リニーでプロイセン軍がナポレオンひきいるフランス軍に完敗した。プロイセン軍はいきおいづくフランス軍の前にほとんど何もできなかった。


 同日、カトルブラではイギリス軍がネイひきいるフランス軍にやぶれた。このときイギリス軍の主力はアメリカと戦っており(米英戦争)ベルギーにいたのは2線級の新兵ばかりだった。のこりはベルギー、オランダ、ハノーバーの寄せ集めにすぎない。ナポレオン麾下随一の猛将ネイの損害をかえりみない突撃の前にはひとたまりもなかっただろう。







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