【最近の学説】
6月15日、ナポレオンは先手をうってフランス=ベルギー国境をこえた。
ブリュッヒャーはリニーでフランス軍をむかえうつこととし、ウェリントンは事前の打ち合わせ(5月上旬にティールモンで会合)どおりカトルブラへイギリス軍をすすめた。
6月16日、リニーでプロイセン軍がナポレオンひきいるフランス軍に完敗した。プロイセン軍はいきおいづくフランス軍の前にほとんど何もできなかった。
同日、カトルブラではイギリス軍がネイひきいるフランス軍にやぶれた。このときイギリス軍の主力はアメリカと戦っており(米英戦争)ベルギーにいたのは2線級の新兵ばかりだった。のこりはベルギー、オランダ、ハノーバーの寄せ集めにすぎない。ナポレオン麾下随一の猛将ネイの損害をかえりみない突撃の前にはひとたまりもなかっただろう。
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