らんちゃん&すーちゃんのピンルーム

ピンバッジの素晴らしさをご紹介しながら、日々の出来事を綴って行きたい。

長野オリンピックから23年

2021年02月15日 18時58分41秒 | 日記

1998年2月7日~2月22日まで長野オリンピックが開催されておりました。
早いもので23年も経ってしまったんですね。
東京オリンピックは初めから何かとトラブル続きで、
最近になって組織委員会長が解任となり、
招致当時の主要メンバーが誰もいない事態となっております。
それに比べると長野オリンピックは、
始まるまではイマイチ盛り上がりに欠けながら、
地道に順調に準備されていたと思います。
当時は私の感覚ではまだほぼアナログ時代で、
ネットもそれ程発達しておりませんでしたので、
詳しい情報は得ることは出来ませんでしたが。
盛り上がりに欠け、グッズも売れていなかった長野オリンピックを、
一気に変えたのは、スピードスケートの清水宏保選手が500mで、
金メダルを取ってからでした。
それからというものは、長野市中が蜂の巣をつっついたような、
大騒ぎになってしまった事を覚えております。

長野オリンピックのチケットは人気種目はやはり取りずらかったですが、
全く取れないと言う事はなかったですね。
開会式は追加販売があり、長野では取りずらいので、
東京の姪に頼んで東京のチケット売り場でゲットしてもらいました。
一番後ろの席で、寒さにぶるぶる震えながら観ておりました。

開会式の模様は義兄がビデオテープに録画してくれましたが、
今はビデオデッキはありませんし、DVDにダビングするのも面倒ですし・・
そんな時には今はYouTubeがあるんですよね。
しっかり全容を観ることが出来ました。
開会式をプレイバッグしてみようと思います。



善行寺さんの鐘の音が開会を告げ、
いよいよスタートです。
諏訪の御柱。
諏訪から大きな柱を運ぶのは大変だったと思います。








天皇皇后両陛下も若かったですね。
後ろにサマランチ会長の姿も見えます。
幕内力士、横綱曙関の土俵入りが行われました。
本来なら日本人の横綱「貴乃花」が土俵入りをするはずでしたが、
当時体調を崩し、代わりに曙関が務めたようです。





森山良子さん、雪ん子によりテーマソング
「明日こそ 子供たち」が披露されました。
雪ん子ちゃん達は今は30歳を過ぎていると思いますが、
良い思い出になったと思います。









選手入場。
清水宏保選手が騎手を務めました。
この時はまだ金メダルを取る前ですから、
騎手を務めながらレースの事で頭が一杯だったことと思います。















聖火の入場。
第一走者は地雷で片足を失った義足のランナーでした。
千葉真子さん、ノルディック複合金メダルチーム、鈴木博美さん、
そして最終の伊藤みどりさんに引き継がれ、点火となりました。
伊藤みどりさんの十二単は当時話題になりましたが、
相当重かったようですね。




荻原健司選手の選手宣誓。
荻原氏はノルディック複合選手で「キングオブスキー」の異名を取り、
アルベールビル、リレハンメル両オリンピックで金メダルに輝いております。
残念ながら長野オリンピックでは選手としてはピークを過ぎておりましたので、
メダルは取れませんでしたが、選手団の主将を務め、宣誓も行いました。






最後は小澤征爾氏の指揮で、北京、ベルリン、ケープタウン、
ニューヨークを結び、ベートーベンの第九を合唱。

多くのオリンピックの開会式は通常夜行われますが、
アメリカ最大スポンサーNBCの放映の都合により、
昼間の開催となったように聞いております。
昨今のオリンピックはCGを駆使し、
ド派手な開会式が当たり前となっております。
長野オリンピックは昼の開催ですから、
ただでさえ盛り上がりずらい環境にありました。
更に23年前の開催と言う事も差し引く必要がありますが・・
全て手作りで、ローカル色満載といった感じで、
かなり地味な開会式でした。
選手入場の行進曲は「信濃の国」でしたし。
長野県に絡んだことがある人しか知らない県歌です。

私は今回改めて観て・・
とっても暖かく良い開会式だったように思います。
みんなの一生懸命さが伝わって来て、心温まる気がしました。


コメント
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