戦後61年の8月15日がやってくる。
61年前の今日、人々はどんな気持で空を見上げていただろうか?
明日があるかないか、常に脅かされ
今日の暑さと、空腹と見送った人の背中を思い・・・。
いや実際は、その瞬間、今を生き抜くのに
精一杯だったかもしれない。
そんな人間らしい感情すらマヒしてしまうほど
衰弱していたかもしれない。
言葉など見つからない過酷でむごたらしい歴史の事実が
人間にはある。
今だから出来ること
人を思いやる事、善悪のみさかえがつくのも
自分を保てる時を生きているからで
魂が在しているからで・・・。
だから、伝えなければいけない。
61年前を想像する。
61年前に耳をすます。
61年前の空気を感じる。
大切な人たちを思う。
人間が人間であるように
人間が人間であるように
人間が人間であるように
願う。
祈る。
取り返しがつかない、すべてがなくなってしまう事の意味を
迎え火に思う。
私は・・・
誰もが胸の奥にしまっていた61年前の「愛」を伝えよう。
言葉にしよう、唄にしよう。
見上げる空が星が月が61年前にもあり
共存の証なら
人の心にある「愛」もそのはずだから。
61年前の今日、人々はどんな気持で空を見上げていただろうか?
明日があるかないか、常に脅かされ
今日の暑さと、空腹と見送った人の背中を思い・・・。
いや実際は、その瞬間、今を生き抜くのに
精一杯だったかもしれない。
そんな人間らしい感情すらマヒしてしまうほど
衰弱していたかもしれない。
言葉など見つからない過酷でむごたらしい歴史の事実が
人間にはある。
今だから出来ること
人を思いやる事、善悪のみさかえがつくのも
自分を保てる時を生きているからで
魂が在しているからで・・・。
だから、伝えなければいけない。
61年前を想像する。
61年前に耳をすます。
61年前の空気を感じる。
大切な人たちを思う。
人間が人間であるように
人間が人間であるように
人間が人間であるように
願う。
祈る。
取り返しがつかない、すべてがなくなってしまう事の意味を
迎え火に思う。
私は・・・
誰もが胸の奥にしまっていた61年前の「愛」を伝えよう。
言葉にしよう、唄にしよう。
見上げる空が星が月が61年前にもあり
共存の証なら
人の心にある「愛」もそのはずだから。
与謝野晶子女史の『君死にたまふ事なかれ』の一節に
『親の情けはまさりしも親は刃を握らせて人を殺せと教えしや 人を殺して死ねよとて二十四まで育てしや』
そんな世の中を繰り返してはいけない…だから私は祈りたい。
毎日の何気ない生活の中で、今生きている事に感謝する気持からですよね。
あたしは、終戦記念日という意味ある日に「歌語り」出来る事をしあわせに思います。
魂込めて唄語ってきます。
南部の火祭りはかよぽんとてんちゃんにまかしたよっ!
今日はひとりでも多くの人が
心おだやかに 平和を祈り
ご先祖さまに感謝する一日でありますように。
だからこそ、語り、思い出し、祈り、話し合い、想像しあう・・・全部が大切だと思います。