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少林寺流空手道拳昇会

道場案内・活動記録・会員間出来事など

稽古の意義

2022-01-20 23:54:51 | 日記

新しい年が始まり、1/8から気持ち新たに道場もスタート。

冬至が過ぎ、「稽古始め」の頃になると、夕方の往路の明るさに一つ冬のトンネルを越えた心持ちになる。これが私にとっての”明けましておめでとう”であり稽古始めの日恒例の実感です(笑)

だけど寒さは日に日に増し、一番に道場に立つと空手着に裸足の出で立ちに武者震い、二つ目の長いトンネルの始まりも実感するところ。

しかし、準備体操~基本~型 組手などの稽古をするとじわっと汗も滲むほどで、体中が活性化し、寒かったのが噓のようになる。稽古後に外に出て、身を切るような冷たい空気にさえ心地よさを感じるときが至福の時間。体が温まると心も温まる。稽古の意義をしみじみ感じる時間です。

今年も早やコロナ何波だかで、蔓延防止措置とやらの足かせが待ち受けている気配です。道場で体を鍛え温まるだけで、あらゆる菌をはねのけて免疫力アップに繋がっていると自負しているのですが これほど長引くのなら、体育館や公民館の使用に関しては、それぞれのトップの采配で使用形態を考慮して時間制限を臨機応変にしてもらいたいものです。

何はともあれ、その時々にやれる精一杯を実践するのみ 今年も頑張っていきまっしょい!!

最後に~ 

只今、親子会員大いに募集中

免疫力アップで体も温まり、親子の絆も深まりいいことだらけです

体験、見学お待ちしてます 

 微笑ましくて撮ってしまいました。          

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ゆく年くる年におもうこと

2019-12-31 18:44:16 | 日記

 2019年も終わろうとしています。寒波がやってきて寒々とした大晦日です。災害に見舞われ、仮設住宅やブルーシートで囲った屋根の下で年を越す方々や野良猫ちゃん達の事を思うと胸が痛みます。それでも年が明ければおめでとうとお祝いです。現在の世情を思えばめでたいことなんか何もないけどと思うのですが・・・1月1日から発効される不平等条約・日米自由貿易協定FTA、自衛隊中東派遣の閣議決定、憲法改正の国民投票や改正に伴う緊急事態条項の盛り込み、復興五輪の陰で犠牲になる災害地や国内外の自然破壊、予想される五輪後のリーマンショックを遥かに超える不景気。日本の民主主義・三権分立の破壊は進み、耳障りのいいグローバル化という言葉に飲み込まれて貧富格差増大の止まらぬ日本。一体、日本はどこに向かっているのでしょう。でも、何が何でも、私達大人は次世代に平和の時代をバトンタッチする義務があります。そこんとこだけは固守しなければなりません。思えば、来る年をこれほど複雑な思いで迎えるのは初めてかなと。道場に立てば、子供達の変わらぬ笑顔、笑顔! しかし・・真綿で首を締められるように、気づかぬうちに子供たちから笑顔を取り上げるような日がいつか突然やってくるのではと。 先日、アフガンの支援活動中に銃撃でお亡くなりになった中村哲さんが、生前に身近の人に話したお言葉をお伝えして、一人でも真実と平和に向かい合う人が増えますよう、来る年に希望をつないでいきたいと思います。

 憲法9条は遠く感じていたけど、アフガンに行って、日本が戦争しない憲法を持っていることの大切さを知った。

 裏切られた人を裏切らない誠実さこそ人を引き付ける力がある。

 大変な国に行った時には、助けるのではなく、そこで自分たちが失ったものを見つけなさい。 西日本新聞掲載より抜粋

 PS 長渕剛さんの反戦歌「静かなるアフガン」を聴くと中村哲さんの目指したアフガンと一つに重なり、魂が揺さぶられ涙が溢れます。YouTubeから取れなかったので歌詞を掲載します。

海の向こうじゃ戦争がおっぱじまった 人が人を殺し合っている

アメリカが育てたテロリスト ビンラディンがモグラになっちまってる

ブッシュはでっかい星条旗を背に ハリウッド映画のシナリオすげかえる

悪と戦うヒーロー アフガンの空黒いカラスに化けた

ほら また戦争かい ほら また戦争かい

戦争に人道(みち)などありゃしねえ 戦争に正義もくそもありゃしねえ

 

黒いカラスにぶら下がるにっぽん人 僕らはテレビで銃弾に倒れた兵士を見てる

空爆に両足吹っ飛ばされた少女の瞳から真っ赤な血がしたたりおちる

日の丸と星条旗に僕は尋ねてみたい 戦争と銭(かね)はどうしても必要ですか?

広島と長崎が吠えている「もう嫌だ!」と泣き叫んでいる

ほら また戦争かい ほら また戦争かい

ああ早くアフガンの大地に平和と緑よやどってくれ!

あの時の少女の瞳をこわさないで 僕は祈る静かなるアフガンの大地

僕は祈る静かなるアフガンの大地

 

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深く心に響く 宮崎駿さんの会見

2019-05-06 02:55:01 | 日記

国家権力の暴走を抑えるための憲法が、国民を操るための憲法になるなんて絶対に許せません!!! 姑息な手段で、国民主権・平和主義・基本的人権の尊重 この全てを奪おうとする政権なんて絶対許せません!!!!!  

柔らかく、でもきっぱりと訴える内容は胸に迫ります。長いですが是非最後まで目を通してください葉梨愛さんのブログの中から2015年の宮崎駿監督の会見を転載)

[全文]「世界がもっと根元の方でみしみしと悪くなっていくようです」~宮崎駿監督が会見                          

「安倍首相は、憲法の解釈を変えた偉大な男として歴史に残りたいと思っているんだと思いますが、愚劣なことだと思っています。」

ー引退以降、監督はどんな生活を送っていますか?

僕は以前と何も変わっていません。ただ来る時間が30分ほど遅くなり、帰る時間が30分ほど早くなっています。

ー新しいアニメも作っていますか?

これからかかるところです。今、かかりつつあります。

ー「風立ちぬ」では、軍事産業が発達していくことを取り上げて、いろいろ調査もされたと思います。安倍政権の下で兵器の生産・輸出がこれからさらに活発化すると思います。どう思いますか。

非常に残念なことだと思っています。

ー監督は辺野古に関する協力声明を出しました。その後の進展はいかがでしょうか。また、監督に直接のいやがらせなどはありましたか?

沖縄の人の過半数以上が辺野古に基地を作ることに反対しています。まだこれは最終結論は出ていませんが、これから困難な道が続くんんだろうとも思いますが、それを永続的に長く続けるために基金を作って、あらゆることをしていこうというのがファンドの目的です。

(直接のいやがらせは)それはありません。それよりも、こっそり寄って来て「有難う」と言う人が何人もいました。なぜこっそりか…堂々と来れば良いのに(笑)

共同代表になったときに、それまで家内は何も言いませんでしたが、◯をつけて返信する時に、とても喜んでくれました。

ー今週は、日本にとっては重要な一週間です。国会では安保法制の議論が進みまして、16日には採決される見通しです。安倍政権は、日本の安全保障を確保するために必要だと言っていますが、どう思われますか。

話が飛ぶようですが、イラク戦争が起こった時、日本のテレビジョンで、あるイギリスの政治学者がインタビューに答えていました。

その内容をかいつまんでお話しますと、"この戦争の結果、アメリカはアフガニスタンとイラクから自分の牧場に帰ることになるでしょう。そして、世界は一段と混乱するでしょう"と言いました。

今、安倍政権のやっていることは、そのことを考えてどういう方法を取るかだと思います。私は正反対の方が良いと思いますが、つまり軍事力で中国の膨張を止めようとするのは不可能だと思います。もっと違う方法を考えなければいけない、そのために私たちは平和憲法を作ったんだと思います。その考えは今も変わっていません。

ー来月予定されています70周年談話。これについてはどうお考えでしょうか。どういう内容を盛り込んでいただきたいと思いますか。

その談話は、中国の現在の政治情勢・経済情勢、日本の政治情勢・経済情勢の反映であって、その精神は歴史に学ぶということからずいぶん離れていると思います。ですからあんまり期待していません。

ーよくわからないのは、原発政策について、安倍首相の人気は低い。しかしながら選挙では必ず勝ちます。その理由は日本の左翼、リベラル派があまり強くない現状があるのではないか。監督もクリエイターでインテリなので、どちらかといえばリベラル派に属していると思いますが、なぜ日本では左派が大きな政治的な力を結成できないのだと思いますか。

民主党の最初の総理は、沖縄の基地の問題についても、"日本全体で背負うべきで、沖縄だけに負担させるのは間違いである"、とはっきり言った方です。しかし、たちまち党内の勢力争いで引きずり降ろされた。そして、その後、地震と原発と立て続けに災厄に見舞われて、その混乱の中で、とうとう自民党がずっとやりたくてもやれなかった消費税を民主党が決める羽目になってしまったんです。

この結果、長い政治的な無力感、不信感がこの国にはびこったんだと思います。自民党は過半数の支持を得たのではなくて、多くの人間が投票しなかったことによって天下を獲ったんです。ですから、また変わります。永続的なものではないと思います。

安倍首相は、自分は憲法の解釈を変えた偉大な男として歴史に残りたいと思っているんだと思いますが、愚劣なことだと思っています。

ー一番海外のメディアに伝えたいことはなんでしょうか。

私はこの役目、辺野古基金の共同代表の人間としてここに臨んでおりますから、辺野古の基地の問題、沖縄の人々が基地を撤去したいと思っているそのことをお伝え願えたら、本当に嬉しいと思います。

もうひとつ、先ほどの、日本と中国の問題、共同声明について、私はあの侵略戦争は完全な間違いで、多大な損害を中国の人々に与えたことについて深く反省していると明言しなければならないと思っている人間です。これを政治的な駆け引きとして双方で何かごちゃごちゃやるのは良くない。あらゆる政治と関係なく、この日本は長期に渡る、大陸における愚劣な行為について深く反省しなければいけないと思っています。それを忘れたがっている人ががいっぱいいることも知っていますが、忘れてはいけないことです。

ー安倍首相は、憲法解釈を変えた偉大な人として歴史に残りたいと思っている?

本人が思っているんです。でも残らないでしょう。

ちょっとお話をさせてください。この紙切れが、私の所に突然届いたんです。共同代表を就任することについての依頼状、それと承諾する・しないに◯を付けろという紙が入っていました。

http://static.blogos.com/media/image/7771/2/ref_m.jpg
私は共同代表になるような資格や能力を持っていないので、本当に当惑したんです。ただですね、沖縄の問題というのは、ここにいればなかなか伝わって来ませんが、実は自分の大事な友人に沖縄の人がおりまして、この人が沖縄返還の年、1972年5月1日に返還されましたが、東京の大学に入るために4月28日にパスポートと黄色い伝染病の予防注射の紙を持って東京にやってきた。その時にその人間が感じた、ありとあらゆる感情、非常に抑えたられた感想でしたが、その時の話を思い出すと、私は沖縄の人にものすごく申し訳ないと思っています(ここで監督は涙を浮かべ、声を詰まらせる。)。ですから、この代表を引き受けることにいたしました。

「アメリカの文化は好きではありません。」

ー安倍政権は、基地問題も安保法制も、いずれもアメリカとの関係上、それが必要だという立場を取っていると理解しています。監督は、日米関係について、どのようにお考えでしょうか。このままでいいのか、もっとこうあるべきだ、というのがあれば、教えてください。

それについて、つまり僕はアメリカに非常に大事な友人たちがずいぶんいるんです。極めて誠実な、本当に友情に厚い友人ですが、アメリカの文化は僕は好きではありません。アメリカの生活様式も 日本に多く浸透している色々な生活のやりかたも、基本的に好きじゃない人間なので、そういう色眼鏡だけで見てしまいます。

今、具体的にどういう方針をめぐってどうなのかとここで述べることはできませんが、僕はいつか大量消費文明に終りが来るだろうという予感の中で生きていますので、それでお答えをご勘弁してください。

ー安保連法案も多くの国民はよくわからないと言っていますし、憲法学者のほとんども反対だと言っている。強制採決されようとしているそのやりかたも疑問視されている。そしてまた自民党の一部の会合で沖縄の新聞に対すする発言もありました。少しずつ民主主義が壊れていっているのではないかという人がいます。監督は、表現をする立場としてどうお感じになっていますか。

もともとその程度のレベルのひとたちなんです。それが自分たちが数が多いと思ってのさばって姿を現しただけだと思います。

あまり良い返事じゃないですが(笑)非常に悲しいお答えですが(笑)

ー「風立ちぬ」で、監督の意図としましては平和主義的な考え方を打ち出していたと思いますが、中には軍事的なことを美化していると誤解した受け止め方もあったと思います。

昔、三島由紀夫にフランスのメディアが質問をしたときに、日本人とは"invisibleである"と答えました。監督は、日本人というものは何であると思いますか。


社会の右側の端っこにいる島の人間たちで、平和に暮らせるはずの人間たちなんです。僕はそれだけです(笑)。

この水と緑と、資源と言ったらコメが穫れるくらいです。でも今僕らがやっている生活は、他所からかきあつめてきて、それを使い尽くしていくという、そういう生活です。それは長く続かないでしょう。

日本人であるということは僕にはよくわかりません。わかりませんが、本当の必要な知恵は、世界の隅っこでひそやかにいようというのが一番正しいと僕は思っています。

ー文部科学省が、すべての人文社会科学を廃止する方針を打ち出しました。その方針についてはどう思いますか。

歴史というものに対する感覚がひどく鈍くなっているんだと思います。いま、歴史のある場所にいるんだという感覚が鈍くなっていて、このままずっと続くんだろう、みたいな感じがこの国に蔓延しているんだと思いますね。

第二次大戦の後、日本は冷戦の狭間で、保守と革新というのは、民主主義か社会主義かというそういう冷戦構造のなかで揺れ動いてきたんです。それが冷戦が終了したあと、つまりソ連が崩壊した後、はっきりとした根拠、つまり保守と革新を分ける根拠を失ったんだと思います。その再建がまだ革新の側にできていないんだと思いますよ。

ー原発が近く再稼働される予定です。どうお考えでしょうか。日本は原発を放棄すべきだと思いますか

ええ。こんな地震だらけで火山だらけの国で、原発なんてもってのほかです。

この土地だって、本当にわずかな前に火山の噴火によって出来た土地ですから。私は東京と埼玉の間に住んでいますが、そこの川沿いの小さな土地にいますけど、実は東京湾に津波か高潮が起こった場合、東京都のハザードマップによると、私の家も沈没することになっています。そのスケールたるや、壮絶なスケールなんです。そういうことが起こりうる、いや、起きるだろうと確実に。そういう国にいいるんです。

"ここは津波が来るか"というと、意見の分かれるとこですが、友人たちの多くはそんなことははないだろう言いますが、実際いつかは富士山が爆発して巨大な阿蘇山のようになるんですから、この国は本当にわからないんです。わからないということを前提に生きないといけないところなんです。そんなとこで原発なんてもってのほかです。

ましてですね、沖縄をなんのために基地にするかと言ったら、それは中国の封じ込めの最前線でしょ。だけどなぜアメリカがグアムに海兵隊を持って行こうとしているかといったら、それは最前線に最強部隊を置くことはできないでしょう。だって、パールハーバーもクラークフィールドも、そこに最強の基地があったから日本海軍が攻撃したんです。必ずそういうことになりますがから。沖縄を拠点にすることは、もはやアメリカの戦略でもよくないことになっていると思います。ベトナム戦争の時とは違うんです。

結局それは、自衛隊が使うことになるでしょう。そう考えると、僕は辺野古に埋め立ての基地を作るのは本当に反対です。本当に。そこは標的を作るようなものです。というのも入っています。

ー先ほど、アメリカの大量消費文化について、あまり好きではないとおっしゃいました。しかしながら、アメリカは監督の映画を大好きですし、非常に成功しています。そうは言っても、ハリウッドでは翻訳などを通しますから、何か本来の意味、監督が打ち出したいという意味が少しでも変えられていると思うことはありますか。

いや、アメリカに紹介するについては、Pixarのジョン・ラセターが非常に友情と責任を持ってやっていますから、彼を本当に信頼しています。本当に一番の親友です。

ついでにちょっとひとつ。僕がイギリスのブリストルにある、アードマン・スタジオのスタッフと交流したときに、彼女たちがサインしてくれとDVDを持ってきました。完全な海賊版でした(笑)。どういう風になっているのかわたしには見当も付きません(笑)

「(若者の右傾化は)スマホを手放してくれれば変わります。」

ーさきほど引退後の生活はあまり変わっていないとおっしゃっていましたが、今、取り組んでいるクリエイティブなプロジェクトについてお話いただけないでしょうか。将来的には大きなプロジェクトにも関わりたい思っていますか。

いま、ジブリの美術館で短編映画作っていますが、その10作目に関わっています。これは従来のスタッフ少しと、CGの新しいスタッフたちとでやることになっています。プロデューサーは3年かかると言っているんですが、若いスタッフを3年も拘束するのは良くないので(笑)、私は早く終わらせたいと思っているんですが、それだけでも精一杯ではないかと思っているんです。

ー辺野古、そして自衛隊、そしてまた米軍との関係ですが、中国を脅威としてご覧になりますか?そして中国の台頭、軍事拡大に、どう対応すべきだと思いますか。

中国は膨張せざるを得ない内圧を持っています。それをどういう風に時間をかけてかわすか、というのが日本の最大の課題だと思います。答えになっていませんか(笑)?

ー日本の若者をどう見ていらっしゃいますか。他の国見ていても、若い人には右傾化が出てきています。日本でも若い人の中で田母神氏が大きな人気を得ていますが、一方では多くの若者が政治に無関心と言われています。これは今後どういうふうに発展すると思いますか。若者が政治のプロセスに熱狂的に参加するような時代がくると思いますか。

スマホを手放してくれれば変わります。(会場から笑い)

ー日本国憲法は、やはり占領国が日本に押し付けたと言われています。しかし、今回の動きを見ていると、日本人はこの憲法を非常に深く愛しています。どうして日本人はこんなに強い思いを憲法に持っていると思いますか。

15年に渡る日本の戦争は、惨憺たる経験を日本人にも与えたんです。300万人の死者です。この経験は、多くの、つまり私たちのちょっと上の世代にとっては忘れがたいことです。

平和憲法というのは、それに対する光が差し込むような体験であったんです。これは今の若い日本人にはむしろ通じないくらいの大きな力だったんです。平和憲法というのは。

平和憲法というのは、占領軍が押し付けたというよりも、1928年の国際連盟のきっかけにもなった不戦条約の精神を引き継いでいるもので、決して歴史的に孤立しているものでも、占領軍に押し付けられただけのものでもないと思うんです。

ー日本の教科書は加害に関する部分が少ないと中国やアジアから指摘されています。監督はその加害の部分も大変重く感じている日本の一人ですので、映画に、そういう観点に関して入れたりするというビジョンというのはありますか。または、アジアの人たちと映画を作っていきたい、ということはありますか。

アニメーションは、いろいろな作品が考えられますが、今、私が作ろうとしている作品は、こんな小さな毛虫の話です。指でつつくだけで死んでしまいます。この小さな毛虫が葉っぱにくっいている生活を描くつもりです。それはアニメーションが生命の本質的な部分に迫ったほうが、アニメーションとしては表現しやすいのではないかと思っているからんです。あの…意味わかりますか(笑)?

それで、100年や200年の短い歴史よりももっと長い、何億年にもつながる歴史をアニメーションは描いたほうがいいと思っています。

ー今までのアニメ制作につきまして、監督としてはまた実現していないことはありますか。オタク向けの作品がたくさん出てきていますが、この状況についてどう思いますか

ははは(笑)。

フィルムがなくなって、私たちが使っていたセルもなくなって、絵の具で塗ることもなくなりました。それから背景を描く時にはポスターカラーを使っていましたが、ポスターカラーすら、もう生産は終わるだろうと言われています。筆も、良い筆が手に入りません。それから、紙がこの1、2年で急速に悪くなりました。私はイギリスの「BBケント」というケント紙を、ペンで描くときは愛用していました。とても素晴らしい、僕にとっては宝者のような紙が、すっと線を引くと、インクが滲むようになりました。インクが使えなくなりました。

何か、世界がもっと根元の方でみしみしと悪くなっていくようです。ですから、アニメーションのことだけ論じてもしょうがないんじゃないかなと思います。

いつでも、どうしてこれが流行るのか、よくわらかないものが流行ります。それもいろいろあっていいんじゃないかと僕は勝手に思っています(笑)。

ー今後基地がなくなって、軍事的プレゼンスが小さくなりましたら、沖縄はどうなると思いますか。不動産業や観光業の発達も考えられますが。

僕は、沖縄は日本と中国が両方仲良くするところになるといいと思います。それが一番ふさわしいです。そして交易する。非常におおらかな心を持っている人たちですから、ちゃんとやっていけると思います。

私は自分の子どもたちが小さかった時に、二度ほど小さな島に行きました。その時の宿のおじさんとおばさんが、どれほど子どもたちに良い印象を与えたか。かくもおおらかかで、優しい人々がいるんだというのが、驚くべきことでした。本当に。

二度目の時は、大人は僕一人で4家族の10人の子どもたちを連れて行きました。みんないつも喧嘩している兄弟が、兄さんや姉さんの言うことをきちんと聞いて、本当に感心な子ともだちだと褒められました。僕は沖縄のことを考えると、いつもその人とたちのことを思い出します。

ー辺野古基金の共同代表として、政府は辺野古に基地を作れないとなると、普天間に基地が固定化される可能性があると脅しとも取れることを言っていますが、宮崎監督としましては、解決策はどのような形で解決されるべきだと思いますか。
普天間の基地は移転しなければいけません。それから辺野古を埋め立てるのはいけません。それで、第一次民主党内閣の鳩山総理は「日本全体で負担しよう」という風に発言したんです。僕はそれがまだ生きていると思っています。

ー戦後70年という節目の年ですが、監督から見ればあの戦争、あれは70年前のあの歴史は一体どういうものだと思いますか。あれからどういう教訓が得られたと思いますか。

あの戦争に至る前どこで止められたんだろうという風によく考えます。そうすると、だんだん遡っていって、ついに日本とロシアの戦争にまで至ります。実はその前に日清戦争というのもありますが、これは結局、東アジアにヨーロッパが来て、大砲で開国を迫ったことによる、"文明の衝突"から始まったんです。でも、それを言っていると、責任が曖昧になります。

ですから、僕はやっぱり、やっていけないことはやっていけいないんだということでしかないんじゃないかと思います。他国を自国のための犠牲にして侵略することは、絶対やってはならない。どんな理由をくっつけても、どんなに美化しても美化しきれない。その原則だけは絶対守るべきであると思います。侵略してはいけないんです。それで、私たちは島国ですから一番やりやすいはずです。

ーアニメーションの未来について質問させてください。監督は長編に特化してきたわけですが、今、視聴者のニーズに答えてすぐ作品を作れる会社も出てきています。こうしたものがアニメーションの未来像になると思いますか。それとも、これまで関わってきた、制作するのに時間がかかる、ハイリスクながらハイリターンも期待できるような作品が良いと思いますか。

幸運と才能さえあれば、何とかなると思います(笑)
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真実の声 魂の叫び

2019-01-29 22:17:01 | 日記

Yoshihito Hashimotoさん転載の転載ですが・・・ これぞ真実の声・魂の叫び!!

しっかり、心に留め置きましょう!!。

 イメージ 1

 

若者を殺し、もうけるのが戦争
…語り続けた元日本海軍兵
2019年1月27日13時55分 朝日新聞

講演を終えて笑顔の瀧本邦慶さん=2017年5月20日午後3時59分、大阪市住吉区東粉浜3丁目、下地毅撮影・・・
20歳のころの瀧本邦慶さん

 戦争の愚かさを子どもたちに語り続けた元日本海軍兵の瀧本邦慶(たきもとくによし)さん=大阪市東淀川区=が昨年12月28日午前6時8分、入院していた吹田市の病院で誤嚥(ごえん)性肺炎のため亡くなった。97歳だった。
 香川県出身。1939(昭和14)年に17歳で佐世保海兵団へ志願し、太平洋戦争の始まりとなる41年12月の真珠湾攻撃や、戦局の転換点ともいわれる42年6月のミッドウェー海戦に送られた。「餓死の5分前」まで追いつめられたトラック諸島(現ミクロネシア連邦チューク諸島)で敗戦を知った。
 戦後は大阪市で不動産業などを営み、2008年から語り部に。ときに軽妙な語りが評判となって府内の学校を積極的に回った。
 17年7月に脳梗塞(こうそく)で倒れたが、リハビリを重ねて18年3月に講演を再開していた。同年11月28日に再び発症。家族によると、驚異的に持ちなおして1カ月後にはリハビリのため転院する予定だった。瀧本さんは生前に献体登録をしていたため、遺体は大学病院へ送られた。
 遺言に従い遺族は死去を伏せていたが、講演依頼が今も寄せられるため公表することにしたという。「葬儀などについては遺骨が帰ってきてから考えようと思います。それまでは連絡や心遣いは遠慮させてください」と話している。
若者への言葉 拝みの響き

 戦争そのものへよりも、戦争を起こす者への怒りが大きかった。息子や夫の戦死を言祝(ことほ)ぐように強いた者に、みじめに餓死していった戦友を英霊とうそぶく者に対して、真っすぐに怒っていた。「安全地帯」から戦争をあおった政治家や官僚、軍の上層部を生涯、許さなかった。
 死線を幾度も越えてきた「生かされている者の責任」として始めた語り部活動を、瀧本さんがやめると言い出したのは2016年8月のことだった。
 「講演活動を続けても何も変わらない」「時代はますます悪い方向へ向かっています」。親しいジャーナリストの矢野宏さん(59)に、そう吐き出した。直前の参院選で改憲勢力が大勝したことに落胆したのだ。
 それまでも、13年の特定秘密保護法、14年の集団的自衛権行使容認の閣議決定、15年の安保関連法と続いていた。これらに戦争の「腐臭」を嗅ぎとっていらだちを深め、17年の「共謀罪」法制定で、「くるところまできたんですわ」と極まった。
 自分のような下っ端の兵隊なんぞ軍隊と戦場にあっては消耗品か取り換え可能な備品。虫けらのように殺されて当たり前――。そう繰り返し語ってきたのに、国民は分かってくれないと焦りを募らせていた。
 中止宣言を撤回したのは若者への思いだった。宣言後も寄せられる講演依頼をどうしますかと聞くと、小学生から届けられた感想文に目を通しつつ、「……たぶん、行くと思いますわ」と答えた。「選挙の結果を見て分かりました。もう大人は信用ならん。これからは若者の命を守る一本でいきます」。それからは再び、講演の日時と場所をカレンダーにうれしそうに書きこんでいた。
 天皇陛下のために死ぬ。お国のために死ぬ。死ねば神として靖国神社にまつられる。これこそ男子最高の名誉――。戦前の日本を覆った風潮を素朴に信じた瀧本さんは、徴兵検査を待たず、17歳で佐世保海兵団を志した。23歳までの青春時代を戦争に捧げた。
 なれの果てが南洋の小島での飢餓だった。周りが骨と皮になって死んでいく。弔うこともかなわない。薄らいでゆく意識の中で、「ここで野垂れ死んでヤシの木の肥やしになることのどこが国のためなのか」と考えた。国にだまされたのだと気づいた。
 あの戦争への郷愁の一切を、瀧本さんは鉄の意志で拒んだ。おかみの言うことを疑わなかったのは愚かだったと自らを裁いた。
 若者よ、私のようにはだまされないでくれ。「国を守る」などという耳に心地よい言葉に惑わされないでくれ。若者を戦争で殺す。その戦争でもうける。それが戦争なんだ。そんな戦争なんかに行くな。頼むから命を大切にしてくれ。
 若者に語りかける瀧本さんの言葉は、拝みの響きさえ帯びていた。
 ある日、瀧本さんが仏壇から両親の写真を持ってきて、ずっと眺めていたことがあった。「おかはんは特別の特別ですねん。私は死んだら、おかはんのところに行きます」。100歳まで語り部を続ける夢はかなわなかったが、母アキノさん、戦後の苦楽をともにして先に逝った妻節子さんとの再会を楽しんでいると私は信じる。(下地毅)
もっと見る
 


 選挙権を持つのを18歳に引き下げられた為、現在の若者たちは危険にさらされている。政治に無頓着な世代が多いため選挙を拒否する人たちや安易に安倍政権のウソに騙されてうまく誘導される可能性も高いのだ。戦争が勃発したとき一番先に戦線へ送られるのが現在の若者たち。長らく語り部の仕事を続けてきた瀧本さんの言葉はどう響いただろうか?お国のために無残に死んでいった戦友たちのためにも、そして、これから戦争へ行かされる可能性が高い若者へ届けられた叫びは伝わったのだろうか。このような貴重な人材が一人また一人と死んでいく現在戦争を知らない世代が狂気の世界へと誘おうとしている。我々大人たちが若者への伝えるべき責任は極めて大きい。。。



 
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涙が出るほど嬉しいニュース

2019-01-29 22:09:20 | 日記

 Yoshihito Hashimotoさんのフェイスブックからシェアさせていただきました。

画像に含まれている可能性があるもの:猫

マイナスをプラスに変える・・・・

諦めずに 知恵を出し合う。
そして 行動する!

批判より 提言を!

ところで、都知事も公約でしたよね、殺処分ゼロ!!!

ネコ殺処分減にふるさと納税
 和歌山に全国から1800万円
2019年1月24日 13時31分産経新聞

http://news.livedoor.com/lite/article_detail/15919040/
 和歌山県でネコといえば、和歌山電鉄貴志川線のネコ駅長がよく知られている。

 しかし実は、飼い手がなく殺処分されるネコの数は全国3位(平成29年度)と多い。そこで殺処分を少しでも減らそうと和歌山市が「ふるさと納税」を活用し、来秋完成する動物愛護センターへの寄付を呼びかけたところ、あっという間に全国から1800万円が寄せられた。予想外の反響に市もびっくり。寄付金は去勢手術に必要な装置購入費などに充てるという。(岩本開智)

全国ワースト3

 環境省によると、29年度のネコの殺処分数は全国で3万4854匹。都道府県別では、和歌山県は1786匹で長崎県(2588匹)、福島県(2368匹)に次いで3番目に多い。

 そこで和歌山市は、ネコなどを保護し、飼い主を探して引き渡す目的で動物愛護センターの建設を計画している。敷地面積1683平方メートルの鉄筋平屋建ての施設で、建設費として30年度予算に約2億3313万円を計上し、今年10月ごろの完成を目指す。

 施設にはネコやイヌの収容施設をはじめ、診察室や去勢のための手術室のほか、自由に走り回ることのできる「ドッグラン」なども設ける。

 手術などに必要な麻酔装置や心電図モニターなどは、それぞれ200~300万円と高額なため、市は寄付を募ることにした。

GCFの手法に着目

 その際、ふるさと納税を活用して全国から寄付を集める「ガバメント・クラウド・ファンディング(GCF)」の手法に着目。動物愛護を目的に神奈川県や広島県神石高原町などが取り組んでいる手法で、和歌山市は昨年5月からふるさと納税の総合サイト「ふるさとチョイス」を通じて寄付を呼びかけた。

 受付期間は12月末まで。通常のふるさと納税と異なり返礼品はないにもかかわらず、千人以上から寄付が続々と集まり、期限まで1カ月以上を残した11月27日に目標額を達成することができた。

 近年の全国的な殺処分ゼロ運動の盛り上がりやネコブームなどもあり、大きな反響を呼んだようで、クラウドファンディングのサイトには寄付した人から次のようなコメントも寄せられた。

 「ネコの不妊手術のプロジェクトを立ち上げてくれて感謝している。(和歌山市が)動物に優しい街に変わることができてうれしい」

 「和歌山市のネコに役立つこと、またこの活動が日本全国に広がっていくことを願っています」

 「近い将来、イヌやネコの『殺処分ゼロ』が当たり前の世の中になり、人間と幸せに共存できる社会になることを心から祈っている」

 市保健所動物保健班の広岡貴之班長は「全国的な動物に対する愛情の表れ。市としては初めての試みで、正直(これほど)集まると思っていなかった。殺処分の問題を真剣に受け止めてくれた証し。心が引き締まる思いです」と感謝する。

 市によると、市の保健所ではネコを最大12匹しか保護できないが、センターが完成すれば50匹まで収容可能になり、引き取ってもらえる人を探す期間も長くなるという。

 寄付を活用して手術の設備などが整備されると、これまでできなかった去勢手術や感染症など病気への治療が実施できる。譲渡される飼い手の金銭的負担が減少するほか、去勢手術でネコの性格が穏やかになり、飼い手も探しやすくなるという。

民間団体も期待

 市のこうした対応には、殺処分減を目指す民間団体も期待を寄せる。昨年、市保健所から20匹近くを引き取り保護してきた市内のボランティア団体「城下町にゃんこの会」は、これまで去勢手術のため大阪から病院関係者を招くなどし、負担も大きかったという。

 代表の奥康子さん(56)は「昨年は手術や病気の治療で70万円近くかかった。その負担が軽減されると非常に助かる」と話す。

 市は今後7年間にネコとイヌ合わせて毎年140匹以上の譲渡を目標にしており、広岡班長は「(保護ネコを飼い手に紹介する)譲渡会の回数を月1回から増やすなどし、殺処分ゼロに向けて努力したい」と話している。

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