うさとmother-pearl

目指せ道楽三昧高等遊民的日常

損なわれないもの

2006年01月08日 | 語る!
ここ数年で見た映画の中で、とても好きなのが「バガー・ヴァンスの伝説」という映画だ。ロバート・’ギャツビー’・レッドフォード監督の、巷では凡作といわれているものであるが。

映画の中の天才ゴルファーは戦から帰り、傷ついた心を抱えて自堕落な生活を送っている。彼の帰りを待っていたゴルフ場主の娘である婚約者は、恐慌の中で立ち行かなくなったゴルフ場建設と、父の自死という現実の中にいる。彼女はくじけなかった。美しい彼女は美しいアールデコのドレスを着て、ゴルフ場建設に奔走するのだ。そこに、不思議なウィルスミスがやって来て、だめになった天才ゴルファーに禅問答のようなアドバイスをするというお話だ。彼がいかに、「この世」に生還し、ゴルフを始めるかというお話だ。

サリンジャーの短編の中に戦場に行く男性に女が手紙を送るというものがある。「あなたの中のものを何一つ損なわずにお帰りになりますように」と。
戦の中で、人は何も損なわずに帰ってこられるものだろうか。
腕、足、指、目、耳、鼻、
信じる心、憧れる心、明日を考える心、守るべきものを守ろうとする心。

毎日を生きていくということは、やはり「戦」のようなものだ。だからといって、隣にいる人、横に立っている人が「敵」だというわけではない。ただ、生きていくというそのことが「戦」のようなものなのだ。
世の中で、私の言葉の届かぬ人の前で、私の私を知らぬ人の前で、私は私でないかのように扱われ、手垢を付けられる。輝くばかりの才能をもつ人の前で、私は嫉妬し、羨み、妬み、私の脆弱な自己愛は疲れ果てる。いろいろなにおいのする風に吹かれ、私はさらされ、私は私に試され、私は世の中の流れの中で、渦巻かれる。
そんな毎日の中から、私は「損なわず」に生還しなければならない。そうでなければ私が私でなくなってしまう。私はそれが怖くて怖くてたまらないから。ただ、「帰っていける」と信じ、そうして、帰っていかなければならない。

人は、損なわずに戦から帰ってくることができる。
きっとできる。
そう、信じているわけではないけれど、私はそう信じていたい。いつだって、信じていたい。損なわずに帰ってきたいと思えば、きっときっと、大切なものを損なわずに生きて帰ってこられると。
あなたはどうだろう。そう信じているだろうか。世の中に生きることで、自分の何かがもぎ取られてしまったと考えてはいないだろうか。
そうかもしれない。
世の中で生きていくことは、もぎ取られてしまうことかもしれない。
でも、信じてみようよ。きっと、君は君の失くしたくないものを、ちゃんと持ったまま生きていけるって。そう信じていれば、きっとできるって。

皆様へ、
年頭に申しましたように、「傲慢と思われることを恐れず」書いていく所存でございます。あなたが、ほんのひと時でもここに来てよかったと思ってくださるようなものを書くことが、私の真の目標です。本年もよろしくお願いいたします。
コメント (10)
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