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大学院であまり役に立ちそうもない勉強をしたり、陶芸、歌舞伎・能、カメラ、ときどき八ヶ岳で畑仕事、60代最後半です。

書の至宝展<「行書紅県詩巻」・「多景楼詩冊」>

2006-02-11 14:55:45 | 文学・文芸・芸術


「行書紅県詩巻(ぎょうしょこうけんしかん)」は北宋時代の四大家の一人、
米芾(べいふつ、1051-1107年)が紅県という風光明媚な水郷の地を訪れ
たときに揮毫した行書の書巻であるという。また、「多景楼詩冊(たけいろう
しさつ)」は矢張り、多景楼というところの題詩を行書で書いたものといわれ
ている。いずれも、一部分のみ掲載してある。

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<「行書紅県詩巻」>

「米芾(べいふつ)最晩年の行書か」




下の「再題」と書いてある帖の左側(掲載を省略した部分)に、実は

 「天使残年司筆研」

という文字が書いてあるのだが、書学博士に任命されたときの心境を
「天は残年をして筆研を司らしむ」と記したのだと言われている。
米芾が書学博士に任命された年が崇寧五年(1106年)だったことから、
この書は彼が亡くなる1~2年前、つまり彼の最晩年の行書だというこ
とが推測されるわけである。



力強く、しっかりした中にも米芾特有のしなやかさがあり、さらに、米芾の
最晩年の書、という目で見るせいか、枯淡の味わいが感じられる。

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<「多景楼詩冊」>



この書は、最初の「行書紅県詩巻」と比べると筆致、即ち書きぶり、趣が
異なる。また、筆の運び方や勢い(運筆)も年代と心境の違いが感じられ
る。

こちらは、米芾の流れるようなしなやかさと柔らかさの中に、力強さと剛
健な感じが前に出ているような感じがする。「行書紅県詩巻」よりも若い
時代の書ではないかと思われる。

いずれにしても、米芾(べいふつ)の大字行書の代表的な二題であろう。

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          <二題の筆致、運筆比較>


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その一、「華」
   
           
         「行書紅県詩巻」    「多景楼詩冊」


左側は「行書紅県詩巻」の文字で、右側は「多景楼詩冊」の文字である
が、両方の「華」という文字を見比べて見る。

左側の文字は「中華髪」と書いてあるが、真ん中の文字が「華」、右側の
文字は「華骨」と書いてあり、上の部分の文字は同じく「華」である。
並べて見ると明らかに異なることが分かる


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その二、「天」

     
              「行書紅県詩巻」


             
              「多景楼詩冊」

こちらは、上が「行書紅県詩巻」の文字で、下が「多景楼詩冊」の文字
である。上の文字も下の文字も「天」という文字を比較する。

上の文字は、最初の「紅県旧題云快・・・」の後に続いて出てくるのだが
スペースの関係で省略した部分である。下の文字は「多景楼詩冊」の中
の一段目の一番左側に見ることが出来る。

枯淡の味わいの時代の文字と、力がみなぎっている時代の文字の違い
がはっきり分かる。


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同じ人物でも、年齢と経験と習熟と精神状況の変化によって、書風や書
体は大きく異なることがあることが分かる。いずれも、すばらしい書であ
ることに変わりはない。

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1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (細川石圃)
2021-04-14 09:38:00
断言してもいいんだけれど、多景楼詩は米芾の真筆じゃないだろ。余りに下手過ぎる。 「天」の下半身が左に流れているが、こんなこと米芾ではあり得ない。活字が正しい文字だと思ってるような石頭でないと、こうは書かない。多分下手くそさんの、臨書。良く見積もっても、米芾9歳の作。
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