<東京藝術大学名誉教授・文化功労者吉村順三の
グーリーティングカード「森の中の家」>
ローマ字のサインは、
お嬢さんの隆子さん(チェリスト)
奥様の多喜子さん (バイオリニスト)
本人順三
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奥様とは、太平洋開戦直前の1941年、順三が
アメリカから日本へ帰る船(竜田丸)に乗り合わ
せていた。奥様は留学先のアメリカ(ジュリアー
ド音楽院)から帰国の途中。
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<吉村順三のことば>
「朝日ジャーナル」1965年7月11日号
建築家として、もっとも、うれしいときは、建築ができ、そこへ
人が入って、そこでいい生活がおこなわれているのを見ること
である。
日暮れどき、一軒の家の前を通ったとき、家の中に明るい灯
がついて、一家の楽しそうな生活が感ぜられるとしたら、それ
が建築家にとっては、もっともうれしいときなのではあるまいか。
家をつくることによって、そこに新しい人生、新しい充実した生
活がいとなまれるということ、商店ならば新しい繁栄が期待さ
れる、そういったものを、建築の上に芸術的に反映させるのが、
私は設計の仕事だと思う。つまり計算では出てこないような人
間の生活とか、そこに住む人の心理というものを、寸法によって
あらわすのが、設計というものであって、設計が、単なる製図
ではないというのは、このことである。
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朝日ジャーナル寄稿文
<建築と設計ー私はなぜ新宮殿の設計から手を引くか>
1960年、吉村順三は、「皇居新宮殿」の設計者に選定され「基本設計」
を完成させたが、「実施設計」の段階に入ってから宮内庁が、後は宮内庁
営繕部が行う、として、基本設計者の設計の趣旨が変形されていったため
吉村は設計者の立場を明確にするために辞任した。
吉村順三の芸大時代の教え子、
永橋為成中央設計事務所元代表取締役の著書によると
シンプルにして日本の宮殿に相応しい雰囲気を醸し出そうと
する吉村にとって、ヨーロッパ流の飾り立てた宮殿という
考えをよしとすることはできなかった、という。
「建築設計の仕事は大ぜいの人々の協力のもとに終始一環、
ひとりの設計者の責任においておこなうことが正しいと、私は
信じている。ことに、宮殿といったような、芸術的性格をもっとも
必要とする建物においては、この原則は必ず守られなければ
ならないと思う。なぜならば、宮殿は、真の創作でなければ
ならず、またすべての創作は、これを創造するものが、一貫
した誠意と熱情をかたむけて、最後まで仕事をすすめていか
なければならないからである。」(朝日ジャーナル)
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<昨今の状況を振り返り>
誰が責任を持っているのか分からないような無責任な設計体制、
きれいな言葉で飾り立てているが、その実、心の通った思想のな
い設計、人命を軽視した違法建築の横行、を思い、吉村順三の
人間的な「ことば」を今一度思い起こすべきであろう。
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