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岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

「みちのくの仏像」展:報告 東京国立博物館

2015年04月06日 23時59分59秒 | 短歌の周辺
「みちのくの仏像」展 東京国立博物館

 「みちのく」とは現在の東北地方だ。江戸時代には、蝦夷地と呼ばれ、さらに古くは「みちのく」と呼ばれた。「みちのく」は「道の奥」を意味し、古代の律令制度のもとでの地方制度の「東海道」「東山道」のさらに「奥」の地域だったので、こう呼ばれた。

 東北地方は広大だ。僕の住んでいる関東地方からは意外と遠い。しかも奈良、京都、鎌倉、日光などの地域と異なり、文化遺産の寺社が散在している。それが東京で見られると言う。良い機会と思い、2月27日に行って来た。

 入口近くの「聖観音菩薩立像」(岩手・天台寺)の「鉈彫り」(なたぼり)は、初めて見るものだった。木像だが、普通は鑿で彫られ、表面が滑らかに仕上げられる。しかしこの仏像は鉈(なた)で彫られ、その痕跡が鮮明に残っている。荒々しいが、東北の地方色が現れていると感じた。

 奈良、京都の仏像とは違って痛んでいるものも多かった。時の政権や現代の観光客からの拝観料で維持されるのではなく、その地方の名もなき人々の信仰心に支えられてきた寺院が多いからだろう。だから見ていて、「みちのくの民衆」の信仰心の在り様を見る思いだった。

 この日に見た仏像の中で、「薬師如来坐像」「日光菩薩立像」「月光菩薩立像」(岩手・黒石寺)は保存状態が良好で見事な美しさだった。国宝に指定されているのは当然だろう。

 次に保存状態が良好だったのは「薬師如来坐像および両脇侍立像」(福島・勝常寺)。これは重要文化財だった。脇の立像は「日光菩薩」「月光菩薩」のいずれかだろうが、痛んでいて、判別がつかない。

 薬師如来は、薬で民を救う如来だ。如来は仏教で「精神的悟り」に達した者を指し、シャカは「釈迦如来」と呼ばれ、如来は仏教の開祖のシャカと同等の仏を指す。菩薩は修行中の仏で、如来になるのが予定されている仏。だから如来像の脇に配置されることが多い。

 薬師如来が多いのは、何度も飢饉に襲われた東北地方色を現わすものだろう。

 東北と言えば東日本大震災があったが、震災によって被害を受けた仏像の修復作業の様子も展示されていた。さらに震災と、同レベルの貞観地震(平安時代初頭)の被害を受けた仏像、信仰する民衆によって津波の被害を免れた仏像もあった。

 このように仏像には、遠い時代の人間像を感じる。奈良、京都の仏像も同じだ。

 最後に展示されていた円空仏。円空の仏像は、荒々しい鑿跡で知られる。仏像を制作するのを職業としていたわけではなく、諸国を歩きながら、修行として、全国各地に仏像を残している。その地の民衆への善行として、仏像を制作した。美濃の国(現在の岐阜県)の出身なので、まさか東北に円空仏が、残されているとは思わなかった。

 これも一つの驚きだったが、さらに驚いたのは仏像の形態だった。円空独特の鑿跡がない。秋田の龍泉寺に残されている「十一面観音菩薩像」だが、タッチが違う。代表的な円空仏よりも滑らかな印象がする。解説によれば、初期の作品だと言う。

 だが改めて写真で確認すると、他の仏像と違ってタッチが荒々しい。円空の特徴が初期の段階に萌芽状態で現れていたのだろう。

 展示を見るのは、わずかに一時間もなかった。だが時代とその時代の人間の思いを馳せることが出来た。





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