岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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報告『日本近代文学館』「夏の文学教室」20222年8月

2022年07月31日 17時58分00秒 | 短歌の周辺
 『日本近代文学館』「夏の文学教室」7月29日@読売ホール。

 コロナ禍で近年開催されなかった。『日本近代文学館』「夏の文学教室」に4年ぶりに参加した。通常ならば6日間の開催だったが、今年は1日だけ。

 1日なのでテーマと講演者を絞っていたようだ。日本近代文学館會館55周年、57回目の催しである。

1時間目:平野啓一郎「イデオロギーと個人~森鷗外没後100年」。生誕160年でもある。
 現代はコロナのパンデミックだが、鷗外の時代はスペイン風邪のパンデミック。鷗外自身もスペイン風邪にかかっている。また瀬戸内寂聴は鷗外の存命中に誕生している。鷗外の時代は遠い明治に感じるが、そう考えると、意外と近い時代ともいえる。
 鷗外は医師であり官僚であった。一人の文学者でもあった。その二面性に鷗外のイデオロギーが垣間見えるようだ。「椋鳥通信」という作品は現代のTwitterのような1行抜き書き、「普請中」という作品とともに鷗外のイデオロギーが垣間見える。普請中とは国家体制がいまだ未成熟の制度設計の時代の暗示。
 鷗外のイデオロギーは「反自己責任論」。個人の意思だけでで生き方は決定できず、それ以外の要因も含めて生き方が決まる、というもの。作品の端々にあらわれている。島田は「舞姫」と「山椒大夫」を例にと論じた。

 鷗外は当時の公衆衛生学会の見解に反して「公娼廃止論者」だった。しかし同時に「生活保障」の制度がなければ、公娼制度は廃止できない。貧困の解決が必要だというのだ.。明治人としては開明的なイデオロギーである。

こういう開明的なイデオロギーが文学に変革をきたす作品群を生んだのだろう。

2時間目。島田雅彦「詩が生まれメカニズム 萩原朔太郎論」

 詩を生むには好奇心と観察眼が必要。(これもイデオロギーのひとつ)「詩=人間の感情を凝縮したかたちで表現する。そして新しい世界を発見する。萩原は「電流体」と表現しているが、詩を書くには閃きが必要だ。そこに、詩の言葉が生まれる回路がある。それは呪文や、うわごとのようなものだ。

 この講演には大いに感化された。

3時間目。小池昌代「旅人、川端康成の足音」

 満州の日本人向けに「東海道」という作品が新聞連載された。それは「古典入門」でもあった。満州国の瓦解とともに、新聞が廃刊となり、「東海道」は未完におわった。古典の素養が、川端康成の文学の根底にあるのだろう。(これもイデオロギーのひとつ)

4時間目。小池昌代、辻原登、ロバートキャンベルによる座談会。「文学を記録する/記録する」
 
 文学は先行する作家たちの作品を踏まえて成立する。これが多方面から論じられた。





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