・さわだちて林をおほ風の下ひと日幼のこゑを憐れむ「アンソロジー海」所収。 この作品には自註がある。 「八月の数日山中湖畔のくさや(源本は漢字)にすごしたときの作。林中の小屋だから風の日は騒がしい。風音に対して幼女の声はやさしい。だから「憐れむ」といった。「ひと日」は一日だが軽く或る日くらいに受け取ってもらっていい。」 山中湖畔で詠った作品だが「個別具体的」な「場所」は「捨象」されている。また「幼」 . . . 本文を読む
・高倉の床に蘇鉄の赤き実を干せり古代の風ふくところ 「アンソロジー海雲」所収。 この作品には自註がある。「安木屋場という部落に着くと、高倉という床の高い建物があった。南方系の様式で、日本の古代をしのばせる。床に蘇鉄の実が乾してあった。紬を織る機の音が聞こえていた。」 これは佐藤佐太郎50歳の5月に奄美大島で詠んだ作品だ。 奄美大島の高倉の復元家屋を見たことがある。方形の高床式倉庫で農作物を乾燥 . . . 本文を読む
。青々と晴れほとほりたる中空(なかぞら)に夕かげり顕つときは寂しも「アンソロジー海雲」所収。『群丘』 この作品には自註がある。「冬の晴れた夕空に影のやうなもの見えることがある。底もなく晴れた青空に見えるのを私ははじめて注意して一首にした。森鷗外の『大発見』といふ小説があるが私にとってかういうものも発見であった」 短歌は抒情詩だが「発見」が必要と「運河の会」でよくいわれた。年を重ねても発見はたえずあ . . . 本文を読む
・薄明のわが意識にてきこえくる青杉を焚く音と思いき 「歩道」所収。 「薄明」は薄明り。この場合は夜明けであろう。目が覚めるか覚めないか微妙な瞬間だ。この瞬間に作者は音を聞いた。聞いた気がしたのかも知れない。「青杉を焚く」とあるから、枯葉ではなくてまだ青々とした杉の葉だろう。 どのように聞こえたのか。乾燥した「チリチリ」という音だろう。 この一首を読んで感じるのは。感覚の鋭さだ。薄明で意識が鮮明で . . . 本文を読む
1960年代まで、肥溜めというものがありました。強い臭いがして、「田舎の香水」と家族の間で呼んででいました。決して快くないものを、佐藤佐太郎は美しく詠んでいます。佐太郎短歌の片鱗が見える作品です。 . . . 本文を読む
新年になると新聞などに、新年を祝う短歌が掲載されます。新聞歌壇の選者が編集部の以来に基づいて寄稿するもの。ところがこうした作品は、挨拶短歌になることが多いものです。今年は朝日新聞に「戦争の予兆への懸念」「秘密保護法への批判」を表現する作品がいくつかあって、珍しい例ですが、新年の歌はどうしても類型化してしまいます。『短歌』2014年1月号に「新年を祝う名歌」という特集がありました。ここでその内容を、振り返ってみましょう。 . . . 本文を読む
「写実派」と言うと、「事実をそのまま短歌にする」と考えられがちですが、本当にそうでしょうか。土屋文明の「写生」は「客観写生」と言ってもいいのですが、土屋文明のみが「写生・写実派」ではありません。そんな作品を佐藤佐太郎の作品に見つけました。 . . . 本文を読む