岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

短歌・日本語・斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・社会・歴史について考える

厚き霧の歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月30日 18時29分02秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・厚き霧この窓外にきしみゐんあかつきがたに霧笛とどろく「彩紅帖」所収。神経が過敏になるような作品だ。道東の海であろうか。厚岸などは夏でも深い霧が顕つ。地名は捨象され,宿泊所の名前もない。「表現の限定」が効いているのだ。 美しい情景が浮かぶ。「丁寧に詠まれた叙景歌は立派な抒情詩である」といったのはだれだったろう。 美しい叙景歌であり、美しい抒情詩だ。 . . . 本文を読む

自分を虐げ辛子を溶く歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月29日 17時40分44秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・充つるなき日終わらんとして自らを虐ぐるごと辛子溶きをり 「彩紅帖」所収。 自己凝視強い作品だ。こういう作品を「自虐の歌」と評する人がいるが、それは違う。自己凝視は自己を深く見つめること。見つめることで独自性が自覚できるのだ。 「辛子を溶く」が効いている。忸怩たる思いを噛みしめている印象が満ちている。粉の辛子だろうが、洋辛子、和風辛子はどちらでも良い。辛子のパンチのある香りが重要なのだ。「唐辛子炒 . . . 本文を読む

地下街で連れ去られてゆく雛鳥の歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月28日 14時37分46秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・地下街を歩み来しとき無心にて連れ去られゆく雛のもろ声「彩紅帖」所収。どこの地下街か、鳥に種類は捨象されている。ここが「表現の限定」である。この作品は「連れ去られゆく雛」への「愛おしさ」が感動の中心だ。「連れ去られゆく雛」に人間を仮託しているかもしれない。だが、それは余談。 これ以上の説明のいらぬ簡潔な作品。「シンプル イズ ザ ベスト」といった言葉を連想しる。 . . . 本文を読む

僕が国葬に反対する理由(7つの観点から)

2022年08月28日 02時01分59秒 | 政治経済論・メモ
 安倍元首相の「国葬」が9月27日に開催される。岸田内閣が閣議決定したのだ。僕はこれに反対だ。 先ず、法的根拠がない。戦前には「国葬令」という法令があったが日本国憲法の趣旨に合わないと廃止された。「吉田茂の国葬」の時に「法的根拠」がなかったと閣僚が国会で答弁している。 次に経費の問題。「国葬」には、警備費を除いて2億5000万円かかる。僕の知り合いに「貧困問題」に取り組んでいる人がいるのだが、「2 . . . 本文を読む

禽獣の死の歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月27日 01時37分16秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・禽獣の死は悼(いた)たまるることなくて岩のあひだに骨片乾く「彩紅帖」所収。 禽獣は「鳥や獣の類」。獣の死はだれも悼まずに「骨片」が野ざらしになる。「岩のあひだ」だから、かなり強い語調の作品である。尾崎左永子の作品の特長のひとつは、この強さ、鋭さにある。 かつて僕は、斎藤茂吉の作品を「黒糖」に例え、佐藤佐太郎の作品を「グラニュー糖」に例えたことがある。尾崎左永子の作品は「鋭さ」に特長がある。佐藤佐 . . . 本文を読む

目に見えぬ不安の歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月25日 03時34分57秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・透明のゆゑの不安か上層の広き窓よりつづく快晴「彩紅帖」所収。 不安には形がない、目に見えないのだ。心には形がない、それ故、具体的な目に見えるものに仮託するこれが本来の象徴。塚本邦雄のサンボリスムとはここに差異がある。 そこで作者は、目に見えぬ不安を、透明な窓と快晴に仮託している。佐藤佐太郎の「象徴的技法を駆使した写実歌」を引き継いでいる、作者と佐藤佐太郎の違いは「鋭さ」にある。斎藤茂吉が「黒糖の . . . 本文を読む

追憶の夫(つま)の歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月23日 17時00分00秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・種子多きみかん食みつつ追憶のゆゑに優しき夫と思わん「彩紅帖」所収。 ここでの夫(つま)は離婚した元夫だろう。「追憶のゆゑ」とあるからだ。離婚は心身ともに疲弊する。僕の知り合いにも離婚に際して嘔吐した人がいる。 苦しく、悔しい思いを抱えながら、追憶(過去の記憶)の中では、「優しいとそう思おう」と作者は言う。「離婚」「元夫」「苦しい」「悔しい」は捨象されている。 上の句の表現に追憶を嚙みしめている作 . . . 本文を読む

内乱の記事を読む歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月22日 05時51分48秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・内乱のみじかき記事をよみしがど乾きし砂に花の種蒔く「彩紅帖」所収。 昭和32年から昭和42年までに発表された作品群。刊行は平成2年。「さるびあ街」再刊を機とした歌集だ。第二歌集「土曜日の歌集」の冒頭につなぎの意味でこの時期の作品、80余首を「彩紅帖」として抄録したという。それを拡大して歌集にまとめたのだから、作者には余程こだわりのある作品群なのだろう。 さてこの作品。「内乱」の記事を読んでいる。 . . . 本文を読む

独りの喪・深い悲しみの歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月20日 21時58分28秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・冬の苺匙に圧(お)しをり別離よりつづきて永きわが独りの喪 「さるびあ街」所収 自己凝視の深い作品だ。「別離」は「作者の離婚」。「つづきて永き」から忘れ得ぬ悲しみを噛みしめている様子が読み取れる。「わが独りの喪」が作者の孤独を際立たせる。 それを象徴しているのが「冬の苺」と「匙で圧(お)しをり」だ。「悲しみの心」を更に際立たせる。「冬の苺」の寂しさ・冷たさ。「匙で圧(お)しをり」悲しみをブツブツと . . . 本文を読む

諸宗教者共同声明:安倍元総理の「国葬」閣議決定撤回を求める

2022年08月20日 04時20分15秒 | 歴史論・資料
 ー国民に弔意を強制してはならないー 安倍元首相の「国葬」を、9月27日に日本武道館で行うことを岸田内閣が閣議決定した(7月22日)ことに、私たちは強く抗議いたします。 与党の幹事長が、「国葬」の理由を「多くの国民が望んでいる」との趣旨の発言をしていますが、複数の報道機関の世論調査で、「国葬」に反対が「国葬」に賛成を上回っており、もはや「国葬」を「多くの国民が望んでいる」とは言えなくなっていること . . . 本文を読む

堪えがたき心の空白の歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月19日 01時30分37秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・悔しまむ罪さへなくて堪へがたきこの空白は夜半につづかむ 「さるびあ街」所収 強い自己凝視作品だ。「悔しまむ」「罪」「堪へへがたき」「空白」とたたみかけられて、作者の限界に近い苦しみを表現して余りある。 「何を悔しむ」「なぜ悔しむ」「原因は何か」これらは全て捨象されている。「捨象」「自己凝視」佐藤佐太郎の技法を引き継いでいるが、佐太郎にはこのように強い表現はない。 そこが作者の独自性だろう。 作風 . . . 本文を読む

われを責むるものを感じる歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月17日 23時51分37秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・殻うすき鶏卵を陽に透かしつつ内より吾を責むるもの何 作者は鶏卵を陽に透かしている。今は滅多に見ないが、昭和40年代まではよく見られた場面だ。鶏卵に傷みがあるかを確認するためである。 場所は特定されていない。捨象されているのだ。下の句に「感動の中心」があるので、そこに絞ったのだ。ここに「表現の限定」がある。 「責むるもの何」とあるが、作者は自分で自分を責めているのだ。理由はわからない。読者としては . . . 本文を読む

悲しい夕餉(白き独活)の歌:尾崎左永子の短歌

2022年08月17日 01時20分42秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・悲しみをもちて夕餉に加われば心独りに白き独活食む  「さるびあ街」所収 悲しみの歌だが、まず表現の限定が効いている。「表現の限定」とは余剰の捨象だ。誰との夕餉かが省略されている。場所も省略されている。つまり「悲しみ」という感動の中心が一点に絞られているのだ。佐藤佐太郎の「純粋短歌論」の核心。 次に象徴性が効いている。「夕餉」「白き独活」これが、感動の中心を際立たせている。「昼餉」や「大根」と入れ . . . 本文を読む

反響のない草原・孤独の歌::尾崎左永子の短歌

2022年08月16日 02時19分32秒 | 尾崎左永子(長澤一作・川島喜代詩)の短歌を読む
・反響のなき草原に佇つごときかかる明るさを孤独といふや 「さるびあ街」所収。歌意に難解なところはない。注目すべきは、上の句の比喩。「ごとき」を使用した直喩だが、比喩の独自性が際立っている。 孤独の心情を形容するのに「反響のなき草原」で始まり、「佇つごとく」と続く。「佇つ」は「佇む」の漢字を使用しているが「まつ」と読ませるようだ。では作者ま何を「まつ」のか。そこは読者にゆだねられるが「現在の孤独とは . . . 本文を読む

2022年8月15日に考えたこと(戦争と平和について)

2022年08月15日 01時27分20秒 | 歴史論・資料
 今年ほど、戦争についてかんがえさせられた年はない。2月にウクライナ戦争が始まり、戦争の加害と被害をかんがえさせられた。横浜の「戦争の加害」パネル展もきっかけの一つだった。 第一に、広島・長崎の原爆の被害。ぼくも現地に数回言ったから、その悲惨さは言うべくもない。だが、広島も長崎も「軍都」であり、軍需j産業で栄えた街であり、朝鮮人や中国人の強制労働も行われていた。核兵器は廃絶すべきだし、核兵器禁止条 . . . 本文を読む