オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

水素燃料による脱炭素の不思議

2020年12月18日 | Weblog

新型コロナにより家にいる時間が増えている。

 そうすると、どうしても新聞に注目してしまう。その内容にいろいろと疑問を持つことが多くなっている。別に貶しているわけではないが、より良い方向へ進んでもらいたいと思いながらぼやいている。今朝の新聞のトップ見出しに「水素利用30年に300万トン」とある。中身を見てゆくと、おかしいなと疑問が沸いて出てくる。50年には温室効果ガスの排出をゼロにするのと直接結びつかないのである。もともとのエネルギー産出はどうするのだろうか?

水素ガスは、だれがどこで産出するのだろう。

 水素ガスは、①副産物として産出する。②電気分解で産出する。③水から直接産出する。の3種類があるそうである。今現在の水素ガス産出はほとんどが①と②である。ただし、これはもともとのエネルギーがあってそれから二次的に水素ガスに変換されただけである。もともとのエネルギーの産出が脱炭素でなければ意味がないということになる。そうであれば、自然エネルギー由来のものでない限り脱炭素とはならない。副産物は、石油精製、鉄鋼生産、化学製品生産などにより発生するが、これそのものは決して脱炭素ではない。

水素燃料の役割は、

 エネルギーを貯蓄できる蓄電池的な使用法であろう。エネルギーは放置していると消失してしまうし輸送中の損失が大きい。これを水素燃料として固定できれば、余ったエネルギーを貯めておいたり、効率的に輸送できる。そして、利用する時にはCO2排出はゼロである。その意味において確かにクリーンエネルギーではあるが、これを産出するために従来の製法をしていたのでは、脱炭素に対して無駄を省いて効率的ではあるが、直接の脱炭素にはなっていない。

やはり、脱炭素に必要なのは、

 自然由来の水力発電や太陽光発電や風力発電や洋上発電であろうが、この部分については遅々として進んでいない。原子力発電も確かに脱炭素であるが、福島の事故以来ほとんど機能しなくなって、これを補足するため火力発電が復活している現状である。やはり、最終的に流通するエネルギーは電気なのだろう。必要なのはその電気エネルギーを蓄電できるものであり、水素エネルギーはその一つだと思う。であれば、これ以外の蓄電池の開発にも力を入れなければならないのだろう。

そして、一番重要なのは、

 水素を直接生産できる技術の開発である。少しのエネルギーで大量の水素を生産できれば、水素エネルギーの未来は明るい。生産のためのエネルギーも水素で賄うことができる。まさにクリーンエネルギーである。しかし、政府の「水素基本戦略」では、供給網体制と消費量拡大だけの目標値が掲げられているだけで、水素燃料の生産技術や生産設備については触れられていない。何か片手落ちのような気がするのは私だけなのだろうか。

燃料電池の開発もあまり進んでいないようである。

 水素燃料の前に燃料電池があるのであろう。燃料電池はどうなっているのだろう。水素を直接燃やすのではなく、燃料電池の開発が最優先のような気がする。そうすれば、現在の全ての蓄電池が燃料電池となり、エネルギーの使用効率は画期的に改善されると思う。個別の小電力の発電設備であっても、水素燃料として蓄電できるし、蓄電したものはみんなで共有して燃料電池として利用できる環境が整うと思う。私のノートパソコンも現在の充電池から燃料電池になって、一か月くらい稼働するようになってもらいたいものである。


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