オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

人間心理

2011年07月04日 | Weblog
利益を得た時、まずは手にした利益を確実に確保しようとする。

 得た利益を全て投げ打って次の賭けに投じてしまうのは、正真正銘のギャンブラーで、当たれば倍々ゲームで儲けが増えてゆくが、はずれたらゼロである。通常の常識人は堅実に現在の利益を確保して、次の堅実な利益追求に邁進する。「常識人」とは何だろう?私に言わせれば、周囲の人に客観的に気配りできる人だと思う。周囲(他者)のリスクを左右するような決定を避ける人でもある。自分のせいで他人の利益が左右されてしまう状況を嫌うのである。自分ひとりであれば「ギャンブラー」でもいいが、集団の組織で行動している場合は「ギャンブラー」であることは大きな抵抗がある。時々ワンマンで一か八かの勝負に出る人もいるが、常時そういうわけには行かない。

損失を出した時、この損失をなかったことにして先送りしようとする。

 根底に流れるのは同じで、損失が周囲(他者)に影響を及ぼすことを避けて、自分のせいで他人の利益が左右される状況を嫌うのである。よって損失には目を瞑ってなかったことにし先送りする(損失回避行動という)。先送りして考えることは、現状維持であり、そのためには、「もしかしたら損失を帳消しにできるかもしれない」という可能性を追求する。これは、「ギャンブル」以外の何者でもない。現状の損失額を掛け金にして損失が帳消しになる賭けに身を投じる。当たれば確かに帳消しになるが、はずれれば膨大な損害をこうむることになる。通常は、はずれる確率のほうが高いのだが、どうしてもこの一か八かの当たる確率に全てを投げ打ってしまう。

いろいろな事件を観察していると、

 実にこの後者の思考過程にはまり込んでいる人が多い。結果的には、現在の損失を組織全体に知らしめて、早い時期に損失を帳消しにしたほうが賢明な策なのである。少なくとも、次のギャンブルに身を投じることは回避しなければならない。原子力発電の危険性についても同じことが言えそうである。ギャンブルの結果が福島原発の現状ではないのだろうか・・・。これと同じ事をまた繰り返すべく、根本的な安全確保をさておいて、原発を再開しようとしている。またギャンブルを繰り返すつもりなのだろうか・・・。

面白い人間心理の現象だと思う。

 リスクを伴う決定は先延ばし策を講じるのである。目的達成のために犠牲が生じる場合は、多くの強烈な批判が生じる。その批判を乗り越えて目的達成に邁進するためには相当の使命感と意志力と長期的な視野に基づいた自信が必要であろう。いちいち批判に反応して軌道修正していたのでは本来の目的を達成することは100%不可能である。この目的を達成する「鍵」は説得力しかない。この説得する力こそ政治家に必要な資質である。果たして今の政治家にこの説得力があるのだろうか・・・。説得力と言っても、悪いほうに導く政治家の変な説得力には困ったものであるが、これを厳正に判断し選択権を行使するのが国民である。

別の言い方をすると、問題を先送りする政治家はお払い箱にすべきである。

 国民に迎合して得票数ばかり気にして人気取りをしている政治家も、政局の動きに反応して節操なく行動している政治家も、お払い箱である。少なくとも、将来を見据えた長期的な視野での自己の展望に基づいて国民を説得できる何かを持っている人を選択すべきである。説得できるとは、現在の問題点を的確に捉えて、これを解決するための将来展望が見通せて、なおかつ実現可能であることであろう。これさえしっかりしていれば、国民は多少の犠牲があっても進んでこれを追求する道を選択するであろう。右肩上がりのバブル経済はすでに終息している。いつまでも夢物語を語る時期は終わった。これからは腰を据えて足を地に付けて地道に現実的に経済活動を展開する時期にさしかかっている。大いに考え直してもらいたいものである。政治家も国民も・・・。

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