オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

交通取締り

2006年09月18日 | Weblog

交通取締を民間に委託したら交通違反が激減したという。

 違うだろうと思う。民間に委託したから違反が減ったのではなく、委託する前の警察の取締がいい加減だったのである。実質取り締まっていなかったか、もしくは効果が上がるような取締をしていなかったことになる。民間でできたことがなぜ警察にできなかったんだろう。権限としては警察官の方が数段上のはずである。ただ単に人員不足だったという言い訳だけで済みそうにない。民間に委託した人員はそれほど多いわけではない。集中的に実施すれば警察官であってもできなかった範囲ではないと思う。警察は真剣に取り締まろうとせず、そのぬるま湯の状態にどっぷりつかって長い間甘んじていたとしか思えない(こんな事を言うとお叱りを受けるかもしれないが、私はそう思う)。

この種の発表や報道はあちこちに見られる。

 冷静によぉく考えると、なんだかおかしい。画期的に改善したという裏側には画期的に改善できるほどの問題点をこれまでに大量に抱えていたことをさらけ出しているし、抜本的に見直したという裏側には根本的な部分の致命的な欠陥をこれまで気づかずに放置していたと白状している。第三者機関に客観的に判断してもらったという裏側には自分達が客観的な判断ができないことを吐露しているし、専門家の意見を聴聞して決めるという裏側には自分達に専門的知識がないことを暴露している。画期的に良くなった、改善したの裏側には今まで徹底的に悪かった、問題点が山積みだったという過去の事実が潜んでいる。そんなことを言うと「改善」なんてできないじゃないかと反論があるかもしれないが、大風呂敷を広げるから、もしくは一挙に大量のことをやってしまうから嫌みを言われる。日頃から地道に小さなことでも改善を積み重ねているのが本来の姿で、この部分はあまり外に出ないのが普通なのである。その部分を怠っているから一挙に大量にやっつけ仕事をして大風呂敷を外に向かって披露するのである。

画期的なことはすぐに画期的でなくなる。

 その賞味期限は、できあがったと同時に切れてしまい陳腐化する。大きくても小さくても賞味期限は同じである。だから食べきれないほどのものを抱え込んでも大半は腐ってしまう。日頃から小さなことの積み上げを地道にやるしか方法はない。そして、整備すべきは具体的対策の寄せ集めではなく、それらを整合させ方向付けさせる根本の考え方である。考え方を整備するのにはほとんど金もかからないし、修正するのも容易にできるし、考え方を積み重ねてゆくのも、昇華してゆくのも、真実に向かって探求するのも自由である。通常画期的な改善は基本となる考え方がないところにしっかりとした考え方を導入して総合的に改善を図る場合である。斬新な考え方もそのまま放置していると陳腐化して効力がなくなる。

川は常に流れているが、通常はその流れを見せつけることはなくゆったりと動いている。

 時には大洪水があって川も暴れるが、それは自然の摂理で必要性があって生じているし、大洪水は周辺に甚大な被害を伴う。常に大洪水を起こすような「改革」「改善」が続いては周辺は疲弊してしまう。どうしようもない問題点を含んでいる部分については改革・改善が必要であろうが、それは局所であろう。日本全体の仕組みを全て改革・改善するなんて不可能に近いし、そんなことをすると結果的に致命的な失敗をして下手をすると日本の国が転覆してしまう。それよりも平常時に常に流れている川を見習うべきで、この川が澱んだり堰き止められたりしないように維持しておくことが大事だと思う。普通にゆったりと流れていることで川の役割は90%以上果たされているはずである。何も無理に大洪水を起こす必要もない。

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