オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

そうである確率とそうでない確率

2016年09月28日 | Weblog
そうである確率とそうでない確率は足し合わせると100%である。

 冷静なふりをしてくだらないことを言っているが、よくよく考えてみるとそうなのである。それなのに、我々はこのことを忘れている。何らかの事実があって、この事実自体は100%真実だとしよう。そして我々はその事実に基づいてある判断をする。だからAはBだと。しかし、ここに間違いがある。何らかの事実は確かに真実だろうが、だからと言ってAがBである確率が100%ではない。この時、AがBでない確率を考えればいいのである。AがBでないことを証明する100%真実である事実もたくさんあるであろう。AがBだということが単なる思い込みだということに気付くはずである。

ところが、この思い込みと思われる情報が世の中にたくさん出回っている。

 AがBであることを証明する事実をたくさん並べれば、さもAがBであることが100%疑いないというような錯覚を生み出す。しかし冷静になってもしかしたらAはBでないかもしれないと、そのための新たな事実を見出していけば、AはBでない確率が高まって、100%疑いないという思い込みと錯覚から逃れることができる。人間の性分として、画期的で常識を覆すような情報に飛びつきがちであるが、そのような情報は生まれたてのほやほやで、これから十分吟味すべき確率的には疑わしい情報なのである。

豊洲市場の移転問題で世の中が騒ぎまくっている。

 たくさんの事実を並べて大問題であるとの評価が下されている。しかし、本当なのであろうか?このまま移転しても大丈夫だという確率は高いと思う。いやその方の確率が優勢である。だから、問題であるという部分を手直しすれば十分に移転は可能なはずである。それなのにいつの間にか「移転は問題だ」という風潮がはびこってしまっている。このようにすれば移転は大丈夫ですという事実も見出していかなければならない。少なくとも「移転しない」という選択肢は今更ないはずである。地下に空間を作る建設手法は業界では地下ピットと呼ばれ常識的に行われており、技術的に問題はない。工事に問題があるのなら手直しさせればいい。

それよりも都庁の職員にこの問題を責任をもって説明できる人がいないことに唖然とする。

 考えてみると、お役所では、いかに自分が責任を取らないで仕事をしてゆくかに熱心なのである。全責任を取るような仕事を請け負って失敗すると減点になるが、成功してもさほど評価されない。そうであれば、減点されることを敢えてしない。よって常に責任逃れの仕事をしている。成果を上げても上げなくても全体としては問題ないのである。ふたを開けてみると、どこに責任があるのか皆目見当もつかない。たぶん当事者のお役人さんも判らないのであろう。このお役所仕事体質は大いに反省し改善しなければならないが、これは都庁だけの問題ではない。私は結局は長となる人の資質と心構えに欠陥があると思っている。それぞれの長の権限を明確にしその権限を厳然と行使し、責任をもって部下に明確な命令・指示、指導・監督をし、やったことには責任をもって説明できる体質を作り上げなければならないと思っている。

豊洲市場の移転問題を機に都政改革をしようとしているのもなんか変だ。

 豊洲市場の移転を人質にして組織改革を迫っても無理がある。確かに問題はあるのだろうが、問題は一つ一つ地道に解決してゆくしかない。大ナタを振ってバッサバッサと切り捨てても都政が停滞するばかりで、機能しなくなる。そして、都政も悪いところばかりではないのである。真面目に真摯に業務を遂行している人達がたくさんいると思う。その人達が遣り甲斐をもって仕事ができる環境を作り出すのが先決だろうと思う。また、見えない闇の手に牛耳られているという都庁伏魔殿説も、そうではない事実も探索しながら慎重に対策していかなければならない。反対に隅から隅まで何でもかんでも牛耳られていると思い込むことのほうが無理がある。

女優の高畑淳子さんの息子さんが暴力事件で警察に逮捕された。

 私はそれほど重大な事件でもないと思っていたが、世の中挙げてメディアで取り上げられて、極悪の犯罪人扱いであった。警察に通報した男性の主張が一方的に取り上げられたため、情報の少ない中、憶測が憶測を生み、事細かな事実を積み上げて、まだ結論は出ていないのに世間から極悪の犯罪人にされてしまった。ふたを開けてみると、実際は大したことなく収まってしまった。なぜこの時「そうではない」という立場で意見を主張するメディアはなかったのだろうか?そして、この息子さんも被害者である。このために自分の将来をふいにしてしまった。自業自得と言えばそうかもしれないが、あまりにも犠牲が大き過ぎるのではないか。

メディアはもっと冷静にならなければならない。

 AがBであると主張するのなら、AがBでないという事実もそろえて、総合的に情報を発信しなければならない。確かに「AがBである」と断定的に確信的に情報発信した方がわかりやすくてメディアにも乗りやすいが、一旦メディアに大々的に取り上げられたものは、元に戻すことが通常は困難だということを肝に銘じてもらいたい。無責任体質では困るのである。反対に情報発信する時に、主張が間違っていたら最善を尽くして過ちを訂正する覚悟をもって事に当たってもらいたい。また、このような無責任なメディアを活用して世間を騒がせることを画策する輩は絶対に許してはいけない。我々は常に「そうではない」という意識を頭の片隅に置きながら眉唾で聞くことも必要である。

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