オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

報道における情報の価値

2008年03月08日 | Weblog
日本のテレビや新聞を見ていると、

 本当に日本国中津々浦々までの些細な事件や話題までも取り上げて報道している。そんなこと報道して何になるんだとも思う。いつも見た後で「だから何なんだ」「それでどうした」「何が言いたいんだ」と独り言で呟いている。その疑問に答えられない報道については、ほとんどその場で忘れ去られてゆく。たぶん世の中の人も多かれ少なかれそうだし、期間の長短はあっても最終的には使い捨ての垂れ流し情報として葬られてしまうのであろう。

考えてみると、報道する前の検討が充分じゃないのではないかと思う。

 報道する前に、報道する必要性と重要性があるか、報道する価値があるか、報道した結果の影響はどうか、そして最も重要な事は、その報道を通じて何を目的に何をしようとしているのかを明確にする事だと思う。それらの事前の検討があって適正なフィルターがかかって、初めて報道されるべきだと思う。報道する側にも報道するためのしっかりとしたスタンスと信念が必要だろう。何でもかんでも垂れ流しで報道するのが報道の自由ではなく、自分の信念に基づいてしっかりとした報道するのが本来の報道の自由であろう。端的には報道しない自由もある。

いくら事実であっても、その情報に意味がないと価値もない。

 その事実にどんな意味があるのかを適正に判断しなければならない。たとえば、どうしょうもないくだらない事件があった時、これを事実として報道するなら、その事実を通じて何を訴えたいのかを明確にすべきである。ただ興味本意で事実を忠実に報道してもあまり意味はない。意味はないけれども週刊誌的に面白おかしく脚色して報道しているが、具体的な事実に着目すると一時的な話題を提供はするがやっぱり「しょうもない事実」でしかない。暫らく経つと跡形もなく消えてしまうし、その後の経緯について触れられることもない。無責任と言えば無責任である。

海外の報道を見ていると、

 日本ほど節操のない報道はあまり見当たらない。くだらない番組はあるが報道とは一線を画している。そして明確な報道姿勢を感じるし、報道内容は単なる事実の垂れ流しだけではなく、周辺の関連事項や分析、問題提起、将来展望等も含めて一塊の情報に作り上げられている。たとえば、人間が死んだだけでは報道されない。報道に取り上げるのであれば、そのことを通じて何を訴えるかが問われる。日本の場合はたとえば死亡事故があればとりあえずは報道される。しかしそこまでである。「だから何なのだ」と言われても答えはない。「事実として生起したから報道した」「とにかく人命が損なわれたのでニュースだ」と思っているようだ。個人で処理すべき事件・事故は公の報道に取り上げる必要はあまりない。取り上げるのであれば公共の立場からその意味を再検討しなければならない。海外から日本の報道を見ていると、「日本って平和だなぁ」とつくづく思うし、時にはあまりにも平和過ぎて井の中の蛙そのもので自己中心的で恥ずかしくなる事もある。

報道にも地域の広がりがあると思う。

 全国的な報道と局地的な報道である。日本の場合は国土が狭いせいか全国版もローカル版もなく時間枠が許せば何でもかんでも手当り次第報道してしまう。質を高めるのではなく時間枠をとにかく埋め尽くそうと言う姿勢が見え見えである。私にしてみればうるさくてしょうがないし、ほとんどを聞き流してしまう。それなのに、重要かつ本質的な内容についてはあまり報道されることはない。視聴者は真面目な難しい話題になった途端そっぽを向いてしまうようである。それ故にただ生起した事実を忠実かつ面白おかしく報道することばかり一生懸命になって、その事実を調査・分析して問題提起なり意見提供する真面目な報道は等閑になっている。そして面白ければ何でも報道してしまう。

テレビは映像がなければニュースにならない。

 映像がふんだんにある話題はテレビに乗りやすい。映像がないと番組にもニュースにもならない。映像がないときは、何でもいいから意味なくても実況中継をやっている。警察が調査中のときは容疑者に関する映像がふんだんにあるが、容疑者が逮捕されると映像が取れなくなって警察の発表しかなくなってしまう。とたんに「面白い」ニュース番組はできなくなって、一挙に世の中からこの事件に関するニュース報道が激減してしまう現象がある。何かおかしいと思う。海外で面白い映像を入手すると真意は別としてすぐに飛びつく。どういう情報発信なのか信憑性はあるかの確認さえなされないで鵜呑みにして吐き出される。

報道がしっかりしていないと、国民が似非情報に踊らされる事になる。

 「情報戦」と言う言葉があって、各国は当然の如く国を挙げて情報戦をやっている。日本国にはその気配さえないし、全ての情報が筒抜けのようで、いい加減で節操がない。こんなことでは、簡単に情報戦の餌食になってしまう。海外からのニュース配信は果たして信頼できるのかどうかは報道の場でしっかりと確認していなければならない。一般市民にその情報能力は持ち合わせていない。報道がただの受け売りであっては、いずれ日本の国を滅ぼしてしまうだろう。マスコミが単なる事実を枝葉末節の雑音を含めて増幅してセンセーショナルに報道する姿勢は、本当の真実を見えなくして風評被害を招くだけである。マスコミはそのような力を持っているんだということを自覚して、その力を適正な方向に活用しなければならない。


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