オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

風評被害

2018年03月15日 | Weblog

東日本大震災から7年がたった。

 節目に当たっていろいろな報道がなされているが、その多くは風評被害に悩まされている現地の声を伝えている。風評被害を招いているのは日本国民であり、世界の人々であり、そんなことがないように皆で協力して風評被害をなくしていこうという姿勢であるが、その前に風評被害を招いた元凶はメディアであることを忘れてしまっている気がする。大いに反省し、当時の大げさで過大な報道や正確性を欠いた報道がこの7年たった今も風評被害が消え去らない現実を見つめてもらいたい。そのために現地の人達は苦悩し希望を持てない将来を見据えているとも言える。

今メディアが考えなければならないのは、

 どうしたら将来に風評被害を招かない報道ができるのかを模索すべきである。何故今でも根拠のない執拗な風評被害が生じているのかをその原因を追求すべきである。果たして報道姿勢は正しかったのか、冷静で正確な報道がなされていたのか、報道内容が将来に与える影響を考慮していたのか、理性的な報道ができていたのか、考えることはたくさんあるし、報道の記録はみんな残っている。その記録をつぶさに分析し、二度と繰り返さない教訓を現在の報道に、将来の報道に具体的かつ確実に反映していかなければならないと思う。

国民も反省すべきである。

 節操のないメディアに踊らされて無意味な感情的で衝動的な行動をしていた自分を顧みて反省すべきであり、メディアからの情報の取捨選択の必要性と重要性をもう一度確認しなければならない。今現在冷静な状態で我に返って当時の騒ぎ方を振り返ってみると、自分でもおかしいとか変だとか過敏すぎたなとか何でも拒絶してしまったなとか思うことはたくさんある。不確かな情報に右往左往している大衆に自分も迎合して騒ぎまくっていたことを反省すべきである。状況が不明であればとりあえず大多数の行動に同調するが、そのあとは自分なりに考えて自分なりに理解した範囲で判断し行動することが重要だろうと思う。

未だに放射線の単位シーベルトが具体的に理解されていない。

 放射線が何かも、どんな影響があるのかもよく理解されていない。とにかく得体のしれない実体のない想像を絶する未来永劫身体に悪影響を与え続ける悪魔の元凶として植え付けられてしまっている。だからこそ今でも風評被害が続いている。福島原発事故後に自分の居住地近くの地点で○○マイクロシーベルトから××マイクロシーベルトに計測値が増大したというだけであちこちで大変な大騒ぎが大々的にあった。果たしてこれが具体的にどんな影響があるのかを理解も確認もせずに騒ぎまくった。確かに警告を促すのは必要だが、冷静さを失った行動は慎まなければならない。そのためには何度も言うように自分なりに考えて自分なりに理解し自分なりに考えて行動しなければならない。メディアはそのために必要な情報を提供する必要がある。このぐらいは身体に影響がありませんよと言う情報も必要だったのだろう。

当時この騒動を鎮めるような報道は皆無だった。

 だからこそ、騒ぎは際限なく増大し爆発した。私が疑問に思うのは、この時、放射線の専門家が登場して信頼できる情報を提供し、これがメディアに取り上げられなかったかと言うことである。際限なく暴走してしまった大衆を止めることはできないし、ここでこれに水を差すような情報を提供しても大衆から敵視されるだけだったのだろうか?もしかしたら体制側の回し者と思われかねない。そして、体制側もこうなってしまっては火を消すことは火に油をさすことに等しく、どうにも手を付けられない状況であったようだ。その前に体制側は事故発生の時点で信用を失っていた。これまでは「絶対に安全です」と確信的に国民を説得させていたのである。誰も止められないが、この情報の嵐の被害から逃れるのは個人の冷静な判断しかないし、自分を守れるのも最終的には個人の判断である。

判断するためには、ほかの放射線の例を見てみればいい。

 たとえば、10マイクロシーベルトがCT検査1回分相当の被ばく量であるが、この場合、放射線医学的には1万人に5人が放射線被ばくに起因して死亡すると推計される。ところが、これに関係なく1万人中3,000人ががんで死亡する。環境汚染やウィルス、個人の喫煙や食事などの一般の生活環境に起因する要因が原因でがんになる場合が圧倒的に多い。マイクロシーベルト単位の少量の放射線は全くとは言わないがほとんど影響がないというのが冷静な判断である。それよりも喫煙や塩分や発がん性物質の方に注意を向けた方がよっぽど自分を守れることになる。こんな判断をすれば当時のバカ騒ぎが何だったのだろうと反省しきりであろう。こんな現象を生み出したメディアの正確な理解と冷静な判断が欠けていたために無意味な騒動と風評被害を招いたのではないだろうか?

シーベルトの単位に関する情報も錯綜した。

 通常はSV/hであるが、これを年単位のものも同じようにシーベルトで表現した。本来であれば、一時間当たりの被ばく量と年間の被ばく量は数字は同じでも身体に与える影響は違ってくる。大量の放射線を短時間に被ばくした場合と少量の放射線を長期に被ばくした場合では前者の方が発がん率は高く、少量であれば継続的に被ばくしても影響力は少ないし、これを除去し修復する抵抗作用もあって、さらに影響は少なくなる。安全基準が年間単位の被ばく量になっているために換算されたのだろうが、安全基準は正常状態における厳格な基準で定められたもので、これを超えたからと言って直ちに身体に影響があるわけではない。

ただ単に情報を受け売りするだけでは誤解を生むばかりである。

 全ての情報が正確に伝わることはない。伝わるのはその情報の核心となる部分である。核心となる部分を何とするのか、核心となる部分は何なのか、その核心となる部分で何を伝えようとしているのか、果たして伝える必要があるのか、伝えた場合の影響はどうなるのか、等を考慮したうえで情報は発せられるべきだと思う。ただ単に入ってきた情報を垂れ流すだけが「報道」と言うなら、受ける側の我々は常に心して自分で判断して受け取らなければならない。核心が解らない情報は枝葉の事実でもって風評被害が広がってゆく。得体が知れない情報は憶測でもって風評被害が広がってゆく。命を脅かす危険があるということを核心とするのか、それほどに危険はありませんが注意が必要ですよということを核心とするのかによって書き方も伝え方も全く違うはずである。果たして当時はどちらを核心としてたのだろうか、大いに反省すべきである。


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