オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

この頃の流行歌に思う。

2012年01月15日 | Weblog
この頃テレビやラジオで流れる最新の流行歌を聞いていると、私的にはあまり感動を生まない。

 何でだろうと自分なりに考えてみた。特に若者に人気があるという歌手の歌にあまり心が動くことがない。BGMみたいに聞き流してしまう。その特徴は「つぶやき」であり「単語の羅列」であり、ストーリー性もなく、想像もあまり膨らまない。ひたすら個人が日常生活で感じた事象を際限なく繰り返している印象である。これに対し「そうそう私もそう思う」「あるあるそんな経験」「みんな一緒なんだ」というような共感を持つ人には受けるようであるが、どんなに力強く叫んでも、感情豊かに訴えても、呟くように囁いても、根本は一緒のように見える。特に男性歌手の「泣き節」が多いのには時代を反映しているのだろうかとちょっと不安になる。

同じ歌手の歌っている歌が曲名は変わっても同じに聞こえる。

 単調で、同じことの繰り返しに、リズムとメロディーとハーモニーがあるだけである。粗製乱造なのかもしれないが、大衆受けをすることばかりを追求するために、最大公約数的で無難な標準的な作品ばかりしか誕生しない。売り込みをかけるほうも速攻で売上が伸びるもの、宣伝効果が発揮しやすいもの、手間がかからないで出来上がるもの、を追求しているのだろう。昔であれば、何年もかけて名曲を生み出す努力をしていたのだが、現代ではそんな努力は無意味だし無駄だと思う風潮がある。そんな努力があるからこそ作品にエネルギーが備わるのだが、そんな努力をしない作品は浮き草のごとくいつの間にかどこかに流されて忘れ去られてしまう。この10年くらいを考えてみても、その当時売れていた曲であっても「名曲」といわれるもの、後世に歌い続けられるであろう曲は少ない。ほとんどが忘れ去られ消えている。

端的に言えば、そのような作品には主張がないのである。

 前面に押し出す積極的なエネルギーも感じないし、聞く者にヒシヒシと訴え響き感動させるものがないのである。勝手に自分の感想を並べて、共感するものがあったら共感してください。聞きたくなかったら聞かなくてもいいんですよ。という雰囲気である。反対に、聞く側はあまり積極的に主張する歌曲は敬遠し好まないのだろう。これも今の時代を反映しているのかもしれない。個性を発揮して聴衆を魅了する、もしくは聴衆を虜にするような影響力のあるスケールの壮大な心を震えさせるような歌曲に巡り会う事はあまりない。往年の名曲といわれる歌曲を聴いていると、やはり明確な主張があるし、何かを訴えている。だから名曲であり、ずっと歌い続けられているのである。この頃の歌で「名曲」として残るものが果たしてあるかというと、到底そう思われない。いつか消えてしまい忘れ去られてしまうのだろうと思う曲ばかりである。

反対にこの頃は「懐かしのメロディー」が受けている。

 昔のノスタルジーに浸る人もいるが、若者にもかえって新鮮で大いに受け入れられている。この世の中にないものを「懐かしのメロディー」が持っているのかもしれない。私なんかは昔のノスタルジーに浸る側であるが、若者と一緒になって「懐かしのメロディー」を歌うと、若者も新鮮に受け取り、かえって受けるのである。作品の質としては十分現代にも通用することを確信している。かえって昔の方がバラエティーに富んで個性のある主張のある万人受けする作品が多いのである。しかも、聞き手に大いにアピールできて、聞き手と一緒になって盛り上がって楽しめる作品が多いのである。私としては大好きであるが、今頃の歌にこのような名曲が少ない。今流行の歌をカラオケなどで歌っている人の中には自己満足で、自分に陶酔して、聞き手も無視して歌っているような人も見かける。これも世相なんだろう。反対にノリノリの歌もあるが、ほとんどがリズムだけで言葉の羅列で内容がない。多分粗製乱造の結果なんだろう。

政治にも教育にもこんな雰囲気が蔓延している。

 国民の人気を気にした、選挙結果にしか関心を持たない、その場限りの政策を繰り返している。困難であっても地道に長い期間を使ってより良いものに育て上げ改善してゆこうという気概はほとんどないし、これに手をつけた者は、貧乏くじを引くばかりでいいことは何もないと思い込んでいる。国民の側もこのような困難に挑戦する人を適正に評価する姿勢に欠けているようで、ちょっとでも失敗するとすぐに更迭させようとするし、交代しろと要求する。教育もそうで、試験結果ばかりを重視して、試験に失敗した人の適正な評価を忘れている。受験者も一回の失敗で人生が決定してしまうと勘違いしている。試験なんて気にもしないで自分の道を進む人にエールを送る風潮は全く感じないし、そんな人は協調性がない脱落者として評価を断定されてしまう。他人に合わせようとする人ばかりで、自己主張ができなくて、リーダーシップもとれない人達ばかりである。こんな教育をしているのは誰なんだろう。なぜこうなってしまっているんだろう。大いに反省して改善すべきである。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« ボス考察 | トップ | 労働生産性と労働人口 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事