オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

ネガティブキャンペーン

2007年04月07日 | Weblog

言い方は格好いいが要は足の引っ張り合い、中傷合戦である。

 アメリカでこの頃盛んにやっている。選挙で相手候補のスキャンダルをマスコミに流して非難と中傷の泥仕合をやるのである。醜く汚い選挙であるが、アメリカでは熱心に繰り広げられている。何でもアメリカの真似をする日本であるが、これだけはやめてもらいたい。アメリカの言うところの「情報戦」というのもいかがわしくて私にはついて行けない分野である。

ネガティブな部分で競い合ってもしょうがない。

 ネガティブな部分でどちらが最も低俗であるかを決定することに何の意味があるんだろう。選挙をやっている当事者も低俗の極みであり、これを面白おかしく取り上げるマスコミも節操がないし、それに振り回されている民衆は滑稽にさえ見える。それを国を挙げてやっているアメリカという国は軽蔑こそすれ決して真似ようとは思わない。


スキャンダルを暴かれても泰然自若としてればいい。

 応戦するから低俗な相手と同じ土俵に上がらなければならない。スキャンダルは民衆を掻き立てるような噂であって多分正確な事実とは反している。泰然自若とした自分があれば誰もそんなスキャンダルは信じないはずである。応戦しなければならない理由が自分に存在するということは、そのスキャンダルが一部分でも事実であることを自ら認めていることになる。

人は誰でもスキャンダルの一つくらいはある。

 「だからどうした」くらいの気持ちの持てない人に政治家の職業は務まらない。それよりもポジティブな部分で勝負すれば、ネガティブなスキャンダルなんて吹っ飛んでしまうと思う。勝負すべきはその人の人間性と政策である。ネガティブな部分で消去法で選挙が行われると凡庸な人しか残らない。通常プラス面で優秀な人材はマイナス面でも特出している。すべてを含めて人間性なのである。

結局は魅力的な候補者がいないんだろう。

 凡庸な候補者だからネガティブキャンペーンを展開しているのだろう。早くみんなそのことに気づかなければならない。また、そんな選挙戦を展開すればするほど優秀な人材は近づかないで逃げて行く。誰もそんな低俗で醜くて汚らしい場所にあえて飛び込むつもりはない。環境が人を育てる所以である。

振り返って日本の場合はどうだろう。

 凡庸な候補者どころか、キャリアや知識のない知名度だけの候補者がもてはやされている。これに対抗するためにはとにかく名前とイメージを売り込む選挙に徹している。名前とイメージを売り込むだけの選挙なんて最初から意味がない。町にはアイドルタレントのごとき選挙ポスターであふれている。これもまた困ったことであるが、発展途上にあると思いたい。爛熟し過ぎたアメリカよりもましかもしれない。

昔日本でも選挙候補者の公開討論会が開催されたそうである。

 途中で中止になって今ではお蔵入り状態である。何故中止になったかというと、候補者同士の足の引っ張り合いと中傷合戦で公開討論の体をなさなくなくて、見るも無残で恥ずかしい結果になったためである。今、アメリカではマスコミの力を借りてこのネガティブキャンペーンが有力な選挙戦術となっている。日本では過去に戻って少なくとも公開討論会くらいはまともにできるような水準にしたいものである。

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