オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

地上ディジタル放送の不思議

2006年09月03日 | Weblog

2011年7月24日に従来のアナログテレビ放送は廃止されるそうである。

 それに替わるものが地上ディジタル放送だと言うことで、追い立てるように切り替えを促進している。私は、空中に電波を長距離飛ばして放送するのが将来的に主流になるとは思えない。通信回線はすでに無線通信をあきらめて光ケーブルに移行した。あちこちの山の上にある通信所とアンテナは新たに設置されることはないし、無線装置の製造は既に中止されており、既存のものは使えるだけ使って自然に消滅する。そんな中にあって地上ディジタル放送はうるさいほど騒がしい。私にすれば、主流は光ケーブルであり、インターネット配信のテレビ放送になるのが将来の姿だと思っており、早々と地上ディジタル放送に切り替えるつもりはさらさらない。

昔騒がれた「ハイビジョンテレビ」は何処へ行ったのだろう。

 確かに地上ディジタルテレビは高画質でハイビジョンといえばハイビジョンだが、昔提唱されていた「ハイビジョン」はアナログの走査線(従来の2倍)方式で画面も縦横比が従来の4対3から16対9と横長であった。当然ながら昔のハイビジョン受信機は地上ディジタル放送には対応していない。ハイビジョンといえば、つい最近、ハイビジョンもどきのワイドテレビが町の電気屋さんにズラリと並んだことがある。普通の画面を無理矢理横に引き延ばしてハイビジョンに似せたテレビである。私は笑ってしまって買う気もしなかったが、真面目に買った人もたくさん居たはずである。ワイド画面でなくてもハイビジョン放送は見れた。ただし上下に黒縁ができるが何も問題ない。それよりも普通画面を無理矢理横に引き延ばした画像のほうが問題である。顔がムーンフェイスみたいに膨張して見えるしスマートな人もデブに見える。見るに堪えない。

白黒テレビが全盛の頃、カラーテレビに似せるスクリーンが登場した。

 色つきの透明プラスチックを画面に装着することにより、白黒テレビでカラーテレビの気分を味わうことができる。このころから日本人の新し物好きの贋物指向は変わらないようである。よく考えつくものだと感心する反面、これに簡単に乗せられてしまう国民性にあきれてしまう。世の中の流行に常に乗り遅れないように必死になって追随している健気な姿が見えてくるし、あまりの健気さに馬鹿馬鹿しさを感じる。コンピュータのOSがMS-DOSからWINDOWSに変わった時も、国を挙げて大騒動であったし、MS-DOSはみるみるうちに駆逐されてしまった。MS-DOSの資産がまだ残っていたにもかかわらず全てを強引に切り替えてしまった。そしてMS-DOSに関するサービスは直ちに無くなり、ユーザーはバグを抱えるWINDOWSに移行せざるを得なかった。この時も新たな出費と苦汁を飲まされた記憶がある。

携帯電話のPHSは何処へ行ったんだろう。

 あれほど全盛であったのに、今ではほとんど姿を見せない。モバイルパソコン用のデータ通信として細々と残っているが、電話としては主流ではない。昔は日本はPHSを主体に携帯電話網を整備するという政府の方針もあったのである。そのために日本の独自方式に追随できず海外からの進出を阻止することができたが、国際的な標準に合わないため、いつの間にかPHSも日本独自の方式も影を潜めて、現在は国際標準のCDMAとかG3の方式が主流である。一体あのPHSブームは何だったんだろう。日本の携帯電話の歴史のほんの一部分だったにしては国を挙げて全国規模でPHSの電話網を急激に整備したのは本当にブーム(熱病)としか言いようがない。そして、だれもこのことをあえて指摘する人が居ない。過ぎ去った過去として忘れ去られ、間違った方向を目指した反省もない。誰が間違った方向に導いたのかも不明のままである。

「INS(information network system)ネット64」というのもあった。

 ISDN(統合ディジタル通信網:integrated services dgital network)世界標準の日本版といえばいいのだろうか。NTTが主体となって普及したが、途中で立ち消えになった。世界標準に飲み込まれたという感じである。今でもINSの残骸が残っているが、どちらかというと厄介者扱いである。最後の方では大々的に宣伝してINS網を売り出していた。無責任といえば無責任であり、これに乗ったお客さんもお客さんである。これと同じような雰囲気をいまの地上ディジタル普及に見ることができる。国民全員が地上ディジタルに乗り換えたとたん、新しい方式が台頭して地上ディジタルが衰退してゆく予感がするし、今から高い確率で予測できそうである。それが最先端技術進歩の宿命といえばそうだが、冷静に考えると誰かに乗せられている気がする。あまり最先端を追求しすぎないことであり、技術が枯れて信頼性を獲得できて定着したくらいで追随するのが望ましいと思うのは私だけであろうか。

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