オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

政治が不甲斐無い

2010年04月02日 | Weblog

一体日本の政治はどうなってしまったのだろう。

 政治そのものを論議しないで、政治のやり方や個人のスキャンダルばかりを追及するばかりで、最終的には選挙結果を左右する要素にしか関心がないようである。与党と野党と言う考え方をすれば、今の自民党は以前の与党であり、現政策の8割以上は自民党の政策を継承している。そして、約2割くらいを新たな政策として民主党が推進している。そうであれば、今の野党としての自民党は、8割以上の自分の政策は承諾して、あとの2割の民主党の新たな政策に対してどう意見するかが焦点となるであろう。また、自民党政権で問題となっていた部分については、どのように解決するのかを現政権に突き付けるくらいの意気込みが必要であろう。

現在の自民党にその意気込みは全く見られない。

 民主党の提案する政策に対して具体的に反論することもなく、ただ単に「やり方が悪い」「説明責任を果たしていない」「国民は納得しない」を繰り返すばかりである。ちょっと前までは政権担当の党であった自民党もただ単なる政権野党に成り下がったようである。22年度予算案に対して自民党としてどんな意見を表明したんだろう。沖縄基地問題に対して自民党としてどんな意見を表明したんだろう。子供手当てに対して自民党としてどんな意見を表明したんだろう。予算仕分け作業について自民党としてどんな意見を表明したんだろう。私的にははっきりした意見表明をしたとは感じていない。

何かと言うと「選挙に勝てない」という。

 選挙目当てに政治をやっていてろくな成果を収めることはできない。嫌なことは先送りして、受けのいいことばかりを追求することとなる。今現在やるべきことはさておいて、いい結果をもたらす、もしくは世論の受けのいいことしかやろうとしない。本来であれば、結果はどうあれ、世論の受けは別にして、自分たちのやるべきことを精一杯やって、その結果を世論の評価に委ねるべきであろう。与党も野党も同じ様な考えのようで、お互いに人気の獲得競争に勝とうと躍起になっている。本来のやるべき政治活動は置いてけぼりになっている。本来やるべき政治活動にはある程度の犠牲は必要なはずであり、その犠牲をどのように説得して国として実行してゆくかが問われているんだと思う。

何で本質的な議論を避けるんだろう。

 沖縄基地問題の本質は、日米安全保障のために米軍の駐留する場所はどこが最適なのかであり、地元の意見や、個人的な見解とは直接関係ない。また、これまでの過去の経緯を無視して白紙撤回して全ての国民の意見に従って決定するという姿勢も理解しがたい。子供手当ては、全ての子供に一律に手当てを支給することが果たして良いのかどうか納得できないままである。従来の児童手当との目的の違いもわからないままで暴走している。児童手当を見直すことで改善を図ることができなかったのかとも思うが、改善するための問題点さえ明確には解らない。これでは改善のしようもない。困ったモンである。

自民党の立場から考えると、

 基本的な政治の中身はそれほど変わっていないはずである。変わっていない部分は過去に自民党が築き上げてきたものだろう。その部分は野党とは言え大いに評価して推進すべきであろう。そして、問題にすべきは民主党が独自に打ち出した政策であろう。たぶん、この部分は自民党は野党として反対するのだろう。そうであれば、なぜ反対なのかを明確に打ち出せばいいと思う。それが自民党の存在感であり、たとえ野党であろうと民主党の違う部分を自民党の考え方に改善していけば結果としてやるべき政治は変わらないし、自民党単独でやるよりもっといい政治が実現するはずである。それなのに、野党としての自民党は民主党の政策そのものにはあまり言及しない。おかしなものである。

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