オクトシティー正直村

おかしいな?変だな?と思った事を綴った駄文

二者択一の弊害

2017年12月23日 | Weblog
この世の人間社会においては二者択一を迫られることが多い。

 しかし、よく考えてみると、これはあまりにも無謀であり、多数決を取って一方的な決議とすることも同様に無茶なことである。決定せざるを得ない事情は判るが、だからと言って一方的な決定でいいはずがない。一つの方向を示したに過ぎない。右に進むか左に進むかを決めただけで、進み方の細部については反対意見やその他諸々の意見も取り入れて調整を図る必要がある。180度右と180度左で綱引きしていても解決はつかない。その中間の右寄りか左寄りのベクトルの方向で決着するのだろう。結論は一つで、これに賛成か反対かで決心を迫るのはあまりにも不毛である。

二者択一は果たして正しいのだろうか?

 通常は賛成、反対、中立の立場があるが、そのほかに賛成反対の議論そのものが無意味で最初から無視して参加していない人が多数ある。議決の選択肢は賛成、反対、中立、無視の四択に分かれる。また、議論に参加していない人の意見も聞く必要がある。議決は議論に参加している人達の中だけに有効なのである。議決を無効にするには、大多数が議論に参加しなければいいのである。通常は議決権の行使について規定を設けて、参加者が一定数に達すれば議決を有効としているが、これは集団の側の都合であって、集団に属さない人達の意見が無視されてしまう。無謀であり無茶である所以である。

中立の立場も重要である。

 賛成でも反対でもないということは、何も変えないこれまで通りということであろう。それも一つの結論である。何かを実行しようということに対して賛成か反対かとなる。賛成でも反対でもない中立は実行する必要がない、つまり何も変える必要がないということである。少なくとも議論に参加している人はこの三つに分類されるが、通常は積極的な賛成や反対の意見に対して中立の立場は弱くなるけれども、これも立派な意見なのである。日本の場合はこの中立の人達が立場を強要されて賛成や反対の中に紛れ込んで埋もれてしまっている気がする。白黒はっきりしろと迫られてその勢いに負けてしまっているようだ。

賛成、反対意見もなんだかおかしい。

 賛成側は一つのたたき台の案を持っていて、これを一方的に通そうとする。反対側はこれを全面的に否定する。これでは議論にならない。少なくとも反対側は自分の具体的な案を持たないのなら、賛成側のたたき台のどこが問題で反対なのかを明確にしなければならないと思う。そうでなければ反対の意味がない。全面的に反対なら議論に参加せず議場を去ればいいのである。反対者を獲得しようとするなら、議場に戻って反対意見が正しいことを丁寧に説明し説得して理解を得る努力をしなければならない。ただ声を荒げて語気を強めるだけの反対では誰も納得させることはできない。そして、賛成側も反対意見に耳を傾けることである。何故反対か、たたき台のどこを修正すれば反対意見を納得させることができるかを誠意をもって対応しなければならない。これこそ本当の議論である。

この議論があって、初めて賛成、反対、中立、無視が区分けされる。

 ただ、賛成反対札を投票して多数決をとって結論とするのは何かおかしい。少なくとも賛成、反対、中立で多数決を取るべきであり、棄権して議場を去る人の意見も尊重すべきである。そして、あまりにも中立と棄権が多い場合は、議決をもう一度やり直すという選択肢もあるはずである。何かというと期限が迫っている、日程が決まっている、時間がないと言うが、そうであれば、もっと前から余裕をもって議論の場を設けるべきで、土壇場になって時間切れで多数決を強行するのはどう考えても最良の策とは言えない。多数派の横暴でもって議決を強行することも本来であれば許されない。多数派の人々も冷静になって賛成、反対意見を個人個人が持つべきであり、多数派も少数派もその中で意見が分かれるのも当然のことのはずである。議論の質を高めれば個人個人の意見が生まれてくるはずである。そこで初めて多数決の意味がある。

不毛な議論の後の多数決は無意味である。

 そして、個人個人の意見が優先して尊重されることも重要である。政党は別にして、まず個人が冷静で正当な意見を持つべきであり、その意見は政党の意見と一致する場合もあればそうでない場合もある。政党の中であっても意見は分かれるのである。政党の掲げる理念には賛成しても、それぞれの政策のやり方は賛成反対があるのは当然のことだと思う。政党全体が一致団結した一つの意見しか持たないというのはかえって異常であるが、この異常さが、多数派の横暴を許してしまっている。反対に少数派が多数派を説得できるような中身のある論理的で正当なかつ建設的な反対意見が打ち出せないことにも多数派の横暴を許す原因になっている。多数派の横暴を許しているのは議会全体だということを肝に銘じて、是非、議論の質を高める努力をしてもらいたいと切に願うものである。

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