うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

とにかく売れ!売り飛ばせ!

2006-11-12 10:14:10 | ハリボテ団
高尾山口駅前の売店で、リュックサックの安売り。ここで買う人おるんかい!?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

天狗ぢゃ!天狗の仕業ぢゃ!

2006-11-12 09:57:06 | ハリボテ団
高尾山口駅に着きました!無事下山できるよう、祈っててください(笑)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

♪山にぃ~登ぉ~れぇば水虫踏ん~だ…(「山に登れば」萩本欽一)

2006-11-11 21:48:05 | 雑記
今日は、羽根木公園で草野球…のはずが、雨で早々に中止決定~orz
でも、今日やってたら明日はちょっとエラいことになっていたかも知れない。なぜならば、明日はいつもの友人連中と久々の高尾山登山なのである。草野球で筋肉痛になった体で次の日山登りなんて、「アナタワタシニシネイウアルカ」てなものだ。

最後に登ったのは約15年前だが、小さい頃はちょくちょく行ったような記憶がある。都心から比較的近いし、初心者でも比較的登りやすいから結構人気の山なのだ。
何でいきなり高尾山なのかというと、そのきっかけは昨年12月の「筑波山青息吐息事件」にある。友人連中と、開業して間もないつくばエクスプレスに乗ってみようという話になった。それならつくばで何かしようよということで筑波山登山を敢行したのだが、何せ長いこと山なんか登っていないものだから体力がなくなっており、ケーブルカーの山頂駅から男体山山頂に行くまでのわずかな距離ですっかりバテてしまい、山頂の祠の前でドリームスタジアム氏と共々青い顔で倒れきっているという始末。「これじゃイカーン!」ということでリベンジを決心したのだが、またいきなり筑波山へ行っても同じ事になるので、まずは高尾山で頑張ってみようじゃないか、ということになったわけ。でも、不安だなぁ。筑波山でのあの醜態が、ちょっとトラウマになりかかっている。高尾山でも同じ事になったらもう、しばらく立ち直れないぞ(汗)。

ちなみに、同じくリベンジを誓ったドリームスタジアム氏は都合がつかず欠席。
工エエ(´Д`)エエ工

明日は無事に頂上まで登って、無事に帰れるのかー!?
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Can you speak English?

2006-11-10 21:18:05 | 雑記
外国人の若い男女二人組に呼び止められ、道を聞かれた。向こうは英語しかわからないようだ。しかし、こっちは英語がしゃべれない。二人組が探していたのはあるホテルで、私は場所を知っていた。しかし、現在地からそこへ行く道がうまく説明できない。英語がわからないのもあるが、道が入り組んでいるので、日本語でも厳しかったかも知れない。二人組はホテルのHPからプリントした地図を持っていたのだが、あまりにもアバウトすぎるシロモノで、駅を出たはいいが、駅の東と西に似たような幹線道路があるものだから間違えてしまったのだ。とりあえず「方角がまるっきり逆で、そのホテルは駅の向こう側にある」ということだけは何とか伝わり「オーウ、サンキュー」と別れていったのだが、果たして無事に着いたのだろうか。ああ、ブロークンイングリッシュでも、もうちょっとうまく説明できなかったものか。せめて地図でも持っていれば…ああ、二人組に申し訳ない。

思えば、中学までは英語は得意だったのだが、それは単に塾で教科書の先取りをしていたからであって、純粋な英語の力がついたわけではなかった。その証拠に、高校での英語の成績は常に低空飛行で英語アレルギーになり、大学受験では英語は捨てたし(国語一本槍)、大学に入っても第一外国語は中国語(第二外国語はロシア語)だった。

二人組と別れたあと、某英会話教室のCMの、ジャングルジムに捕まったおじさんと若い女性のやりとりの光景が思い浮かんだ。でも、今さら習うパッションもお金もねぇ…。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高等保育園バンザイ!

2006-11-09 23:52:18 | 雑記
昨日の記事に関して、なごやんさんが

こういうコメントが許される学校って 雰囲気って 素晴らしい~!
さすが東京は進んでいます。


と言うコメントを下さったのだが、私の通っていた高校は、あらゆる意味で非常にユルかったのである。カッコ良く言うと「自由な校風」というヤツだが、我が母校に関しては「ユルい」の方がより的確な表現ではないかと思う。ほら、「自由な校風」って言うと、生徒がオトナで知的で手がかからないってイメージがあるじゃないですか。ウチはそうじゃなくて、無邪気なガキンチョがそのまま大きくなっちゃったような連中がゾロゾロ。昨日も登場したH先生は「高等保育園」とも表現したっけ。

特に、1年の時の私のクラス・B組が一番スゴかったんじゃないかしらん。何せ担任からして変わっていた。国立の某大学を卒業して誰もが知ってる超一流商社に勤めたのだが「汚い裏面を見せつけられて」退職。その後英語の教員免許を取って定時制高校を中心に渡り歩き、全日制で初めて担任を持ったのが我がクラスだという。性格は超の字がつくほど温厚で、3年間でマジギレしたのを見たのは一度だけ。高校の隣町の古アパートに暮らし、毎日酒を欠かさない。ギターと歌が得意で、文化祭では教員同士でバンドを組んで歌っていた。
その先生のもとに、よくもまぁこれだけ一クラスに詰め込んだな…と不思議に思うぐらい強烈な個性の連中が四十数人も集ってしまったからさぁ大変。ノリが軽すぎて一日中騒がしい騒がしい。授業中もワイワイやっては、教科担当の各先生を最低1回はマジギレさせた。そりゃ怒るよね、おしゃべりは当たり前だし授業中にカード麻雀とかしてるヤツとかいるし。生物のK先生はチョークを投げ、化学のK先生は「怒られに(学校に)来てるわけじゃないでしょ!」と絶叫し、担任は「やってらんねーや!」と言い放って英語科室に帰っちゃった(先述のマジギレがこれ)。中学の暗黒時代の影響で地味に生きていた私は、あまりのギャップにしばらくついていけず胃の調子がおかしくなり、毎日胃薬持参で学校に通っていたのだった。
しかし、慣れてくると毎日刺激的で「学校ってこんなに楽しかったのかー!」と思うようになっていく。すると徐々に持ち前の(?)変人度が磨かれ、すっかりB組に染まっていったのであった。今の私の性格の基礎は、この時期にこそある。
まさに暴走機関車のようなクラスだったのだが、ノリがいいだけに団結力は相当なもので、体育祭では所属の青団が優勝したし、文化祭ではオリジナル演劇でかなりウケを取った。2年でクラス替えになった時は(我が母校は2年への進級の時のみクラス替えがあった)、わざわざお別れ会をやったぐらいだ。ちなみに、三軒茶屋の飲み屋(爆)。そうなの、今だから白状するけど「大学生」って偽って行ったの。絶対店の人はわかってたと思うの。あれだけ騒いでて、よく居合わせた客が「あいつらアヤしい」って通報とかしなかったなと思うの。されてたらクラスの大半留年だったかも知れない(汗)。ちなみに、体育祭のあと一部の連中が近所の公園で酒盛りしてるのを通報されて停学食らってたんだよね。そいつらは留年どころか最悪退学だったかも…(滝汗)。ああ、クワバラクワバラ。

こんな強烈なクラスだったもんで、懲りたであろう学校側がクラス替えを機にB組の連中を各クラスに振り分けちゃった。今までやかましいのがデフォルトだったから、新しいクラスはそのおとなしさがどうも物足りない。最初の内は「馴染めねぇ…」と本気で悩んだ(笑)。慣れてくれば結構楽しかったんだけど、やっぱり人生最高のクラスは1年B組。
そろそろ担任定年だし、誰か企画しないかなぁ、1Bのクラス会(あくまで他力本願)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

続・コメントには心を込めんと。

2006-11-08 18:26:37 | 雑記
この前は中学校時代の小冊子「くるみ」の卒業生「ひとりひとこと」にいちいちツッコミを入れたのだが(「コメントには心を込めんと」参照)、今度は高校時代の小冊子の「ひとりひとこと」にツッコミを入れてみたいと思う。高校の小冊子の名は「ル・クール」。フランス語で「魂や精神の宿るところ」という意味だそうだが…。

中学校じゃ「苦あれば楽あり!」なんてひねりもないことを書き殴った私は、高校での3年間で何を学び、それを2行でどう表したのか!?

「これって、いざ書くとなるとなかなか思いつかないもんで…。まあとりあえず、みんなどうもありがとう!!」

…まぁ、またひねりもないけど、お世話になった皆の衆への感謝の気持ちをどうしても書きたかったってことだわね。ちなみに、制限文字数(48)を全部埋めるべくまとめやした。

普通に高校時代の感想とか書く人たち。

「3年間のんびり過ごしてきたけど、いろんなことがあって楽しかったよ。SEE YOU AGEIN!!」
「はるか向こうのM高校、思いのほか長かった日々、やっと卒業だ、万歳!!」
「3年間の高校生活を振り返ってみると色々な事があった。その中で得た最高のものは、やっぱり友達だ。」
「毎日のなんでもない会話とか笑顔とかが、いつになっても思い出せそうな三年間だった気がする。」
「これをみるころは、みんな進路が決まってるかしらん?個性派揃いのクラスだったねェ…」
「高校生活遊びまくったこの私。その”つけ”が今頃……。そしてこれからも……」


口の悪いH先生(歴史)には「M高史上最低の学年」とか言われたけど(爆)、楽しい3年間だったねぇ。

「やっと卒業できる!!うれしくてたまんない!これから、人生を思っきり楽しむぞ!!」
「俺の三年間を 即 返せ! 以上」


こちらの方々は何があったのだろう…(汗)。

「この学校に入った事が人生最大の汚点である…。その理由は…言うまでもないでしょう。(笑)」

こちらもボヤキ系だな…書いたのはGALLEON氏。確かに、この高校で揉まれて彼のひねくれ度に磨きがかかったのはまぎれもない事実だったりする(爆)。

「五年も来ちゃって大失敗

そういやいたなぁ~。でも、留年だろうが何だろうが全く浮かないのがウチの高校のいいところで(笑)。

「Gにバックドロップ!!」

Gというのは、本文だと実名なのだが書道の先生だ(爆)。

「この学校に入って、友人の『数』には恵まれたけど、『質』には恵まれなかったなぁ。トホホホホ……」

これには「お前が言うなー!」と友人一同から総ツッコミが入った(私もその一人)。

「高校生活最後の締めとして、一句詠ませて頂きます。たけばやし ちくりんちくりん たけばやし 俳諧」

それは俳諧とは言わない。

「三年間、サッカーで始まりサッカーで終わるので、ここで一句、さくらさくさくらさくさくさくらさく」

サッカーと関係ない。

「日本への留学を終え、母国であるドイツの”モンキーパーク”へ帰郷しようと思う。」

これを書いたMさんは別の人にこう書かれた。

「サル山へ就職したAが昨日、ボスザルとバナナのとりあいしてるMを目撃したって言ってたぞぉ~。」

留学生(?)はここにもいた(二人とも日本人)。

「私は日本人なのに、『日本語うまいねえ。どこの国の人なのかい?』と道を教えたおじさんに褒められた。」
「チェルシー、ぶちます、私優先、やっとこの言葉ともオサラバだね!私も祖国ロシアに帰るとするかっ」


ちなみに「チェルシー」「ぶちます」「私優先」といった言葉の主は前述のH先生である。別の人にはこう書かれた。

「H先生へ 授業中に変な奇声や叫び声をあげるのをやめろ!!絶対に!!趣味でもやめろ!!今すぐに。」

複数の生徒によるリレー式コメントも多数ある。そのうちの一つ。

A・I「実は、M・Iさんは、私のことが好きみたい。ウフフでも私には、K・Hさんとの過去が…」
K・H「実は、A・Iさんの気持ちはうれしいんだけど……でも、私は3年前からC・Iさんのことが……
C・I「実はK・Hさんは私のことが好きらしいの!だけど私は、M・Nさんの笑顔に首ったけ。」
M・N「実は、C・Iさんは私のことが好きらしい。でもね、私はK・Oさんのことが…」
K・O「実は、M・Nさんは私のこと好きみたい。だけど、M・Iさんとの輝かしい夏が忘れられないの」
M・I「私、知ってたの、K・Oさんが私の事好きらしいってこと。でも私は、修学旅行のあの夜、A・Iさんに…。」


ものすごいループだなぁ(笑)。ちなみに全員女子である…!

「公務員として働きつつ吟遊詩人で活躍し、老後はカレーを食うときウンコの話をしない会会長になるのが夢。」

彼は実際公務員になり、吟遊詩人ではないが音楽をやっている。さて老後は…?

「給油式のA、睡眠補給型のB、ソーラーパワーのC、わかる人にしかわからない。それがS(本人の名前)です」

確かにわかるやつにしかわからんオトコではある。

「烏山は、田舎じゃない!中国じゃない!と言い続けてはや三年。ねー、そんなに自転車多い?」

烏山とは世田谷区の千歳烏山のこと…確かに自転車多い。

「広島風のはとにかくまぜちゃいけないんだって。ああっ、まぜちゃだめだってばあっ。」

…お好み焼き?

「ノーコメント、ノーコメント、ノーコメント、ノーコメント、ノーコメント、ノーコメント、ノーコメント」

それはノーコメントとは言わない。

「しかしだ、萩原朔太郎君、古心を得たら古語を語りましょう。そうではないか萩原朔太郎君。」

小説家・詩人の佐藤春夫萩原朔太郎に「詩に古語を使うな」と批判されたときにこのように返したらしいが、それがなぜ卒業コメントに使われたかは不明である。

「初・優勝記念、93'ヤクルト観戦しての一句 ビール手に諸手を上げること多し by27

あの…高校の卒業コメントですよね…(汗)。

読んでるともう、どいつもこいつも…次のコメントが、我が母校を象徴するにふさわしいものでしょうな。

「もう馬鹿ばっかり……」
コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

(巨)人はどこから来てどこへ行くのか…?

2006-11-07 23:23:57 | 野球
仁志のトレード話でビックリしていたところへ、今日は

「谷(オリックス)、巨人へ」

というこれまたサプライズなニュースが…つーか、巨人も懲りないなぁ。FAだ何だで他球団からドカドカ主力を引っぱってきて、そいつらが一部を除いて額面通り働かずにチーム力が下がっていったという現実を見ていないのかフロントよ。心あるファンは泣いてるぞ。生え抜きをコツコツと育てていった上で、足りない部分をFAやトレードで補うというのがチーム作りの基本だと思うのだが、今の巨人は「コツコツ育てる」という精神がない!ファンは勝敗だけじゃなくて、フレッシュな若手が下から出てきたりするのも楽しみにしているのに…。はっきり言って、今のチームは「栄光の巨人軍」からただの「寄せ集め集団」に成り下がってしまった感がある。これで小笠原(日本ハム)も獲ろうって話。もし入団したら谷、李承、小笠原でクリーンアップなんてことも考えられるわけで…こんなの巨人じゃねーよ!
ヽ(`Д´)ノ ウワァァァン

どっちかというと巨人が負けてくれた方が嬉しい私(アンチ巨人ハト派)だが、失敗から全く学んでいない巨人には呆れるばかり。勝っても負けても白けるし、プロ野球ファン全体が減るよ。12球団は運命共同体なんだから、競争しつつも共存も考えにゃならん。昔は巨人さえ強ければ客が来たけど、もうそういう時代ではない。そういうことを巨人はわかって…ないから無節操に他球団の主力を獲ろうとするんだなぁ。

さて、谷の話に隠れて横浜の門倉健がひっそりとFA宣言。「10勝したのに評価が低すぎる。必要としてくれる球団があればどこへでも行く」と息巻いているが、9敗していて貯金はたったの1コ、防御率4.84の投手がそこまで威張れる理由がわからない…。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

そういえば門倉のFA云々はどうなったんだ?

2006-11-06 22:15:51 | 野球
何気なーくスポーツニュースのサイトをチェックしてたら、

「黒田、広島残留へ」

という記事を見つけ、「いやー、良かった良かった。みんな阪神とか巨人に取られたんじゃプロ野球崩壊の危機だったよ。黒田エライ!アンタ漢(おとこ)だよ」と胸をなで下ろしていたのである(ニュースの詳細はこちら)。ところが、次に見たニュースで私の目は点になった。

「巨人・仁志、横浜へトレード」

…え?あのー、仁志って、あの仁志敏久さん?

ぎゃぼーっ!?

私は思わず熱烈的仁志ファンの友人・わなべ嬢に速攻でメールしてしまった。わなべ嬢から返ってきたメールには

「うちのプロ野球スピリッツのチームではすでに仁志くんはロッテにいますが(笑)」

わなべ嬢はロッテファンでもあるのだが、もう巨人じゃ出番ないってわかってたってことか、わなべ嬢!?

まぁ、原監督と仁志の仲が微妙であることはもともとファンの間でも知れ渡っていて、第一次原政権(2002~2003年)の時、突然の原監督退任劇がなければトレードで出されていただろうとまで言われていた。今年も、小坂誠の加入や自身のケガ、新人・脇谷亮太の台頭もあってすっかり影が薄くなり、一体どうなることかと思っていたらトレード、しかも同一リーグの横浜っすか!?もうビックリですわ。しかも、交換相手は原監督の大学(東海大)の後輩・小田嶋正邦。本人からの「出場機会を一回でも多くできる、他の球団でやらせてほしい」の申し出があってのこととは言え、もう巨人側の「厄介払い」にしか見えない…。

さて、横浜に仁志は必要なのか。確かに、今のチームには二塁手で「こいつは!」というのがいない。種田仁は今年故障もあって不振、若手で出てきて欲しい藤田一也もまだ線が細すぎるし、今年一軍初出場を果たした石川雄洋はもう少し時間をかけて育てたい。毎年レギュラーが取れそうで取れない内川聖一はというと、短距離送球がダメで大矢明彦新監督から「(二塁手としては)話にならない」とバッサリ斬られる始末。そうなると…やっぱり必要だなぁ。仁志なら守備は定評があるし、首脳陣がうまくモチベーションを保たせれば、打撃もそれなりにやってくれるのではないか。藤田や石川、新人の梶谷隆幸が育つまでのつなぎ&先生役になってくれれば、チームとしてはベストだろう。
ただ、やっぱり気になるのは年齢の高さ(来年36歳)と、歯に衣着せずモノを言うアクの強さが横浜というおとなしめのチームに受け入れられるかどうか。うーん、せめてあと3歳若ければなぁ。でも、気持ちでプレーするタイプなので、チームが変わることがプラスに作用してくれれば…!

一方、巨人へ行く小田嶋。彼の東海大時代に試合を見ているのだが、当時はキャッチャーだった。ちなみに、ピッチャーは久保裕也(巨人)→小林正人(中日)、ショートが平野恵一(オリックス)で、外野手に大松尚逸(ロッテ)と鞘師智也(広島)がいた…すごいメンバーだなこれ。小田嶋はその試合でレフトへ特大ホームランを打った。その弾道に「こりゃスゴい!」と惚れ込んで、横浜入団以降も応援していた。
バットの芯で捉えれば外国人並みのパワーで飛ばすし、2003年7月18日の対巨人戦では代打満塁サヨナラホームランも打っている。ただ…変化球には扇風機状態なんだよねー。今年は自己最多の3本塁打をマークしたけど、打率は.205。一応、一塁・三塁を守れるが、特別うまいわけではないだけに、得意の打撃でもっとやってくれないとなぁ。しかし、チームが変わって開花するという話はよくあるし、移籍が濃厚な小久保裕紀の後釜を狙うぐらいの気持ちで頑張っていただきたい。

いやぁ~、久しぶりにサプライズな話題だったなぁ。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

♪こーめーをー!米、米をー!(米米CLUB「KOME KOME WAR」)

2006-11-05 13:51:58 | 表へ出ろ
昔の会社の先輩が所属しているアマチュアオーケストラのコンサートがありまして、葛飾は青砥(あおと)に来ております。
昼飯はどうしようかと駅前をぶらついてたら、こんな看板発見!

「区内町御用達」

「宮内庁」と「区内・町」をかけるとはうまいねどうも。これで売ってる米もうまけりゃ言うことないね。休業日で確かめられなかったのが残念だ(爆)。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コメントには心を込めんと。

2006-11-04 23:53:46 | 雑記
小学校のプチ同窓会があったりなんかして、今年の秋は何やら懐古的である。今日もボヤーっと中学校時代の小冊子「くるみ」なんか見たりして。年一度発行されるもので、各クラスや委員会の紹介とか、卒業生全員のコメント欄(「ひとりひとこと」)とか書いてある。この前の同窓会の時も持っていったら、ウケたねー。特に、別の中学校に行った人たちが「私達の知らないみんながいる~!」と興味津々だった。

「ひとりひとこと」。当時みんながどんなこと考えてたのかが、たった2行の中から見えてくる。その時はカッコいいこと書いたつもりが、今見ると「何じゃこれは!?」って思わず笑っちゃったりしてね。

ちなみに私が書いたのは…。

「苦あれば楽あり!」

つまんねーこと書いてるなぁ。当時よっぽどツラかったんだね(学校荒れてたし)。提出期限ギリギリまで何も考えてなくて、頭に浮かんだ言葉をそのまま書いたような覚えがあるぞ。

普通に感謝の気持ちとかお別れの言葉とか書くヤツら。

「ほな さいなら」
「さようなら お元気で」
「たのしかった。」
「おもしろかった。」
「がんばるぞー!」
「CONGRATULATION!」
「一九九一年 三月一九日 これをもって卒業」
「高校行っても元気でいよう!」
「良い思い出をありがとう。」

etc

まぁ、基本ですな。

生徒手帳に印刷されてあった標語とか、ことわざをそのまま書くヤツら。

「『できない』と言うためには『できる』という可能性をすべてなくさなくてはならない。」
「礼儀正しさは人を飾りしかもお金がかからない。」
「意思あれば道を通じる」
「自分自身の道、何よりも大切なもの」
「清く、正しく、美しく。」
「えらくなくとも正しく生きる」
「『少年よ、大志を抱け。』大きな夢を抱いて下さい。」

etc

お前らなー、ホントにそんなこと考えてたか?(笑)
最後のは、「お前も抱けよ!」と突っ込んでおきたい。

適当にどっかから拾ったヤツら。

「本書並びにこれに類するものの無断発行を禁ずる。」
「悪臭を防止する大切な物ですからいたずらをしないでください。」
「円高ドル安」
「ぢ」

etc

何なんだこれは!(笑)

プロレス狂のヤツらが結構いた。

「一!二!三!ダァ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ッ!!」
「やる前に負けること考えるバカいるかよ!」
「ドラゴンボンバーズに入るどー!ムタ2世、藤波2世になるぞー見てろよ!!」
「時はきた それだけだ!!」


ドラゴンボンバーズに入りたかった某君が、実際プロレスラーになれたかどうかは不明である。

野望を抱くヤツもいた。

「レーシングドライバーは、常に大きな目標を持ち、向上心を抱き続けねばならない。俺は中嶋悟を越える。」

彼は後年、車を運転していてウチの近所の電話ボックスを大破させた。

ちょっとひねったことを書くヤツら。

「ネェKちゃん、何て書こーか?」
「くるみにのせるやつでしょ Kさんどーしょーかァ?」
「もう遅いよ。」


出席番号が連続する女子3人による、見事な連係プレーである。

「ウッキー ウッキーキキキキキ キチー!俺がさるだ!」

確かにサル顔だった…と、同じサル顔の私が言ってみる。

「卒業式で泣く人が何人いるかかぞえましょう。」

私は「やっと暗黒時代から脱出じゃ!早く高校に行きたい!」という気持ちで、嬉しかったので泣かなかった(笑)。

「僕の人生の50分の3は、喜怒哀楽が激しい、山あり谷ありの、"あみだくじ"のようなものでした。(笑)」

GALLEON氏が書きそうな文章だのぅ…て、アンタ50で死ぬんか!?

「町で陣内に似た人を見たら、あたくし、Iですので声をかけてくださいまし。」

陣内とは陣内孝則のことだが、似てねーよ(今は知らんが)。

「父ちゃんなさけなくて涙出てくるわい!」

あ、あばれはっちゃく!?東野英心さんも亡くなられて久しいですが。

「私の周囲にはM・Tや、T・H等の恐ろしく、そして意味不明の男たちが存在する。…困ったものだ。」

意味不明…高校では私の周りがそうだった。え?お前が一番意味不明!?

中学生とは思えない内容のものもある。

「天上天下唯我独尊 極東日本国烈士」
「Tくん毎週ポストに東スポ入れてくれてありがとう。」
「我が人生 女に始まり 女に辞すべし」
「弾丸シュートだ!!サッカーボーイ。」
「伝説のゴールへラストスパートだ!オグリキャップ」
「風だ光だタマモクロス 四白流星ヤエノムテキ JRAさんこれからもよろしく。テラ銭下げて。」
「シンボリルドルフ、タマモクロス、オグリキャップ、Mr.シービー、オラシオン、ミホシンザンbyオマ、ピー」


中盤以降は競馬ネタ(笑)。中学生が馬券買っちゃイカンよな(爆)。

「人生わずか70年、残された人生を楽しく生きよう。」

あれから平均寿命は延びました…て言うか、これは50代とか60代の人の吐くセリフだろうが(爆)。

やたら「詩人」な女子の皆さん。歌詞とかから引用したりしてるんだろうか。

「偉大な愛のために私は感じていたい。狂おしいほどにあなただけを。」
「いつも見ていたこの景色がそうまとうのようにかけめぐりその続きを描くためにもう一度歩き出すよ」
「もし名詞が固有名詞になった時。そこにあてはめる言葉を教えて下さい。」
「この町とさよならするより、あなたと離れてしまう方がずっとつらい。でも、いつかまた会えるよね…絶対。」
「何が起こるか分からないけど悔いのないようにHOLY NIGHT KISS二度とない夜にあなたを刻みたい。」
「私を遠くで見てていつか綺麗な女になって、あなたを見返すことが私の夢」
「再び生まれ変われるなら、あなたを輝かせる光になりたい。はるか遠い空の彼方でー。」
「人がまぶしく見えるのは、心の底にかくれてる秘密の宝石が光るからだと。あなたが教えてくれました。」

etc

書き出してる内にすごくくすぐったい気分になってきた(笑)。

でも、一番はこれだな。彼は熱狂的巨人ファンで、ホントは「読売に生き、読売に死す。」と書いたはずが、どうしたわけか誤植でこう印刷されてしまったのだ!

「読書に生き、読書に死す。」

全然意味違うっちゅうに!(爆)
コメント (7)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする