うえぽんの「たぬき鍋」

日々のつれづれ、野球ネタ、バカ話など、何でもありの闇鍋的世界?

高等保育園バンザイ!

2006-11-09 23:52:18 | 雑記
昨日の記事に関して、なごやんさんが

こういうコメントが許される学校って 雰囲気って 素晴らしい~!
さすが東京は進んでいます。


と言うコメントを下さったのだが、私の通っていた高校は、あらゆる意味で非常にユルかったのである。カッコ良く言うと「自由な校風」というヤツだが、我が母校に関しては「ユルい」の方がより的確な表現ではないかと思う。ほら、「自由な校風」って言うと、生徒がオトナで知的で手がかからないってイメージがあるじゃないですか。ウチはそうじゃなくて、無邪気なガキンチョがそのまま大きくなっちゃったような連中がゾロゾロ。昨日も登場したH先生は「高等保育園」とも表現したっけ。

特に、1年の時の私のクラス・B組が一番スゴかったんじゃないかしらん。何せ担任からして変わっていた。国立の某大学を卒業して誰もが知ってる超一流商社に勤めたのだが「汚い裏面を見せつけられて」退職。その後英語の教員免許を取って定時制高校を中心に渡り歩き、全日制で初めて担任を持ったのが我がクラスだという。性格は超の字がつくほど温厚で、3年間でマジギレしたのを見たのは一度だけ。高校の隣町の古アパートに暮らし、毎日酒を欠かさない。ギターと歌が得意で、文化祭では教員同士でバンドを組んで歌っていた。
その先生のもとに、よくもまぁこれだけ一クラスに詰め込んだな…と不思議に思うぐらい強烈な個性の連中が四十数人も集ってしまったからさぁ大変。ノリが軽すぎて一日中騒がしい騒がしい。授業中もワイワイやっては、教科担当の各先生を最低1回はマジギレさせた。そりゃ怒るよね、おしゃべりは当たり前だし授業中にカード麻雀とかしてるヤツとかいるし。生物のK先生はチョークを投げ、化学のK先生は「怒られに(学校に)来てるわけじゃないでしょ!」と絶叫し、担任は「やってらんねーや!」と言い放って英語科室に帰っちゃった(先述のマジギレがこれ)。中学の暗黒時代の影響で地味に生きていた私は、あまりのギャップにしばらくついていけず胃の調子がおかしくなり、毎日胃薬持参で学校に通っていたのだった。
しかし、慣れてくると毎日刺激的で「学校ってこんなに楽しかったのかー!」と思うようになっていく。すると徐々に持ち前の(?)変人度が磨かれ、すっかりB組に染まっていったのであった。今の私の性格の基礎は、この時期にこそある。
まさに暴走機関車のようなクラスだったのだが、ノリがいいだけに団結力は相当なもので、体育祭では所属の青団が優勝したし、文化祭ではオリジナル演劇でかなりウケを取った。2年でクラス替えになった時は(我が母校は2年への進級の時のみクラス替えがあった)、わざわざお別れ会をやったぐらいだ。ちなみに、三軒茶屋の飲み屋(爆)。そうなの、今だから白状するけど「大学生」って偽って行ったの。絶対店の人はわかってたと思うの。あれだけ騒いでて、よく居合わせた客が「あいつらアヤしい」って通報とかしなかったなと思うの。されてたらクラスの大半留年だったかも知れない(汗)。ちなみに、体育祭のあと一部の連中が近所の公園で酒盛りしてるのを通報されて停学食らってたんだよね。そいつらは留年どころか最悪退学だったかも…(滝汗)。ああ、クワバラクワバラ。

こんな強烈なクラスだったもんで、懲りたであろう学校側がクラス替えを機にB組の連中を各クラスに振り分けちゃった。今までやかましいのがデフォルトだったから、新しいクラスはそのおとなしさがどうも物足りない。最初の内は「馴染めねぇ…」と本気で悩んだ(笑)。慣れてくれば結構楽しかったんだけど、やっぱり人生最高のクラスは1年B組。
そろそろ担任定年だし、誰か企画しないかなぁ、1Bのクラス会(あくまで他力本願)。
コメント (2)
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