西日本短大付の優勝から30年経って思う事

 先日50年前の72年は大分の津久見が初優勝していたが今から30年
前の今日92年8月25日は、福岡の西日本短大付が65年・三池工以来
の福岡県勢4度目の優勝を飾った日である。

 この大会は優勝候補は選抜優勝の帝京やスケールの大きな桐蔭学
園に松井秀喜を擁する星稜、そして近大付に好投手・森尾和貴を擁
する西日本短付らだったが帝京や桐蔭学園は初戦で敗退し星稜も明
徳義塾から松井が全打席歩かされ競り負け近大付も北陸相手に延長
まで粘ったものの力尽き残ったのは西短。

 2回戦から登場し高岡商に2-0・3回戦は三重に3-0、準々決勝は
北陸に6-1・準決勝で東邦に4-0で勝ち決勝では拓大紅陵に1-0で
勝ち優勝を決めた。

 奇しくも27年前の三池工の相手も千葉の銚子商で西短は三池同様
3塁側の後攻で完封勝ちという、何とも歴史の偶然には驚いた事を覚
えている。  

 この大会はバルセロナ五輪閉幕直後の8月10日から始まり雨で2日
ばかり延びたため、当時の大会史上最も遅い決勝戦と言われていた。

 西短のエース森尾和貴は全試合を1人で投げ抜き1失点での優勝と
なったわけだが、金属バット導入以来1失点で優勝したのは74銚子
商と89帝京から3校目で1人の投手がフルイニング投げての1失点は
森尾のみという快挙。

 ちなみに92年当時ローカル局のアナウンサーが投手陣がガタガタ
だった‘福岡ダイエーホークスに入れば今からでもローテーションで
ガンガン投げられるのでは?’的なノー天気なコメントをして、解説
者も同意するなど悲惨なものだったのを思い出すが肝心の森尾は新
日鉄八幡に入社したものの肘を痛めて野球部廃部と同時に引退する
など1人がフルイニング投げ切る事に対する将来的なリスクが大きい
という事が分かる。

 今年の夏は仙台育英が5人の投手を揃えて優勝しているのだが、
決勝の相手・拓大紅陵も4人の投手を使い分けるチームだったのを
考えると完投から継投へと時代の流れを感じるものだ。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
エースはチームの投手全員 (こうちゃん)
2022-08-26 19:29:33
エース1人で投げさせる監督は、近代野球では無能な人物。高野連のボンクラ会長も同じ穴のムジナ。彼等には浅薄愚劣の称号がお似合いだよ。エースはチームの投手全員だと思う。
 
 
 
30年前は (こーじ)
2022-08-27 20:44:22
>こうちゃん様

 それが30年前は前年、沖縄水産の大野倫が肘を疲労骨折しながら投げ抜いたという事を美談とする傾向でしたからね。

 複数投手制が是という発想に辿り着くまで30年かかったという事になりますね。
 
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