ヨネクラジム米倉健司会長死去


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https://news.goo.ne.jp/article/nikkansports/sports/f-bt-tp0-230421-202304210001086

 メルボルン五輪代表で元東洋バンタム級王者、引退後はジムを
開設し柴田国明から5人の世界王者を育てた米倉健司氏が88歳で
亡くなったらしい。

 17年8月でジムを閉鎖して隠居しているという事だったから、
元気にしているかと思ったが残念である。

 米倉氏はメルボルン五輪4位の実績を引っ提げてプロ入りすると
5戦目で日本王者に輝き、その勢いで白井義男に続いて2人目の世
界タイトルに挑戦するも白井からタイトルを奪ったパスカル・ペ
レスに判定負け。

 60年にクラスをバンタムに上げ東洋タイトルを奪取すると世界
バンタム級王者ジョー・ベセラに挑戦するも僅差の判定負けし、
その後は東洋タイトルを5度防衛するも左目眼筋まひの影響で引退。

 引退後ヨネクラジムを開設すると身長の低い選手はファイターに、
長身の選手はアウトボクサーにする指導法のセオリーを覆して型に
はめずに特徴や個性を生かす指導法で多くの王者を育てて行った。

 実際にジム最初の世界王者となった柴田国明は身長163cmながら
フェザー級に続いてJライト級の2階級制覇をしたのだが、特にJライ
ト級では強打のベン・ビラフロア第1戦をポイントアウトして勝つ
など背の低い選手はファイタースタイルという常識を覆している。

 さらに国内世界戦が主流だった時代に敵地挑戦でも臆せずに受け
ており例え敗れても何度もチャンスを与えるスタイルで柴田国明は
3度の戴冠のうち2度は敵地だし、ガッツ石松や大橋秀行らはパナマ
や韓国に乗り込んで敗れるも共に3度目の挑戦でタイトルを奪取し
ていた。

 そんな指導法は教え子である大橋秀行に受け継がれており、今や
日本ボクシング界歴代最強といわれる井上尚弥をはじめ4人の世界
王者を育てている。

 そういう意味でも自らが取れなかった世界バンタム級統一タイト
ルを孫弟子・井上尚弥が、バンタム級4団体統一を果たした事を見る
事ができたのは本当に良かったのではないか。

 ちなみに氏の出身は私の地元の隣地区である直方で、同郷といえ
ば名大関・魁皇が有名だが米倉氏の実績も勝るとも劣らないと思う
のだ。

 ご冥福をお祈りします。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (Bill McCreary)
2023-04-23 21:52:26
前にご紹介した青木勝利氏を取り上げた本の中で、著者は米倉氏にも連絡を取っていましたが、すでに取材に対応できる状況ではなかったようですね。

私もそんなにボクシングに詳しい人間ではありませんが、山手線からジムは(当然ながら)何回も外観は見ています。米倉氏は自分限りでジムをたたむつもりだったようですから、帝拳のような手広い商売には興味がなかったということですね。
 
 
 
1代限り (こーじ)
2023-04-25 22:57:02
>Bill McCreary様

 米倉ジムを開設した時点で自分1代限りと言っていたようですね。

 それでもBVDヨネクラジムやレインボージムなど、今でいうネーミングライツに乗り出すなど先進的な考えを持っていたようですね。
 
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