‘山の神’は現代マラソンに必要か?

村沢4位、柏原は14位=女子は新谷が初優勝-福岡国際クロカン(時事通信) - goo ニュース

 今日 福岡市の海の中道海浜公園で行われた福岡国際クロスカントリーで箱根
駅伝で活躍した東海大の村沢明伸が一般男子10㌔で日本人最高の4位に
入ったのに対し、東洋大の柏原竜二は14位に終わったというニュースを見て
‘やはり’という思いが的中した。

 柏原は箱根駅伝の山登りの5区で3年連続区完勝を獲得するなど‘山の神’とも
言われているが、初代の‘山の神’今井正人も大学卒業後はパッとしてないのだ。

 たしかに柏原は故障上がりでコンディションは決してよくなかったとは思うが、
フラットなトラックではなくアップダウンのあるクロスカントリーでの成績もパッと
しないのは大いに気になる。

 果たしてプロ化した現代マラソンに‘山の神’は必要なのだろうか?

 もともと箱根駅伝は五輪で日本を強くするには長距離・マラソン選手を育成する
ことを目的に始まったもので、当時のマラソンはアップダウンがある起伏
に富んだコースが多かったので箱根の山道を登る‘山登りのスペシャリスト’という
存在が大いに頼もしかった。

 ところが近年のマラソン界はプロ化したため賞金レースが増え、同時に記録を
出しやすくするためにフラットなコースが殆どになった。
 五輪でも92バルセロナではモンジュイックの坂と呼ばれる上り坂が最後に待ち
構えていたが、前回の北京や次回のロンドンを見ても急峻な坂道はない。

 こうなるとトラックレースの1万を4本走る感じの高速マラソンになっているので
‘山の神’が得意とする上り坂などはないし、山登りのテクニックなど無用の長物
となってしまう。

 しかも山登りの練習は体に かなりの負担がかかるのは目に見えているので
故障もしやすくなるのではと思うのだ。
 
 マスゴミが‘山の神’などと持ち上げても しょせんは関東ローカルの駅伝の
スターに過ぎないのだから、山登りの練習をする時間があるならトラックのスピ
ード練習をする方が将来のためには有意義だろう。

 もはや箱根駅伝の山登りのスペシャリストなどはマラソン強化のためには百害
あって一利なしと思う。
 山登りのスペシャリストはアップダウンの厳しいマラソンコースを走っていた
時代の遺物であり、トラックレースと替わらない高速化した現代マラソンには必要
ないのではないか。
 

コメント ( 5 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (みっちゃん@)
2011-02-28 14:52:52
>初代の‘山の神’今井正人も大学卒業後はパッとしてないのだ。

2010年の国際ハーフの本代表は今井正人さんでしたよ。
箱根でのインパクトが大きすぎて、過剰に期待されているためにこのように書かれがちですが、マラソンでも確実に頭角を現してきております。2010の福岡国際マラソンでも、唯一外国人選手とトップ集団を形成した日本人でした。
 
 
 
Unknown (みっちゃん@)
2011-02-28 15:03:27
コピペですが、すみません。参考までに。

主な成績
02年福岡クロカンジュニア8km優勝
03,04年金沢百万石ハーフ優勝
06年千葉クロカン4位・日本人1位
※2006世界クロスカントリー選手権日本代表
07年松江玉造ハーフ優勝
09年甲佐10マイル優勝
10年札幌国際ハーフ・日本人1位
※2010世界ハーフマラソン選手権日本代表



駅伝成績
02年都道府県駅伝5区区間賞・区間新(歴代6位)
05~07年箱根駅伝5区区間賞・区間新(歴代2位)
07,09年九州実業団駅伝7区区間賞
10,11年ニューイヤー駅伝4区2位
10年九州実業団駅伝1区区間賞
 
 
 
本当は期待したいのですが (こーじ)
2011-03-01 00:00:26
>みっちゃん@様
 コピペありがとうございます。

 本当は期待したいのですが昨年の福岡国際マラソンを見て他の箱根出身ランナー同様30㌔過ぎからの失速でしたからね。

 ここまで続くと‘またか’という想いになるのですよ。
 
 
 
Unknown (みっちゃん@)
2011-03-02 16:55:58
 箱根の過熱報道には、私も辟易しております。
 私自身も6年前まで実業団でレースに出ておりました。
 今井さんの走り方は、箱根の頃とはずいぶん違うものになっています。スピードも十分期待できます。後は、こーじさんの仰るとおり30km過ぎだと思うのですが、札幌マラソンの時より足は出ているようでした。
 私は今後に期待しております。
 
 
 
 
30㌔の壁ですね (こーじ)
2011-03-02 23:35:25
>みっちゃん@様
 やはり30㌔から どこまでスピードを維持して粘れるかですね。

 90年代のホープと言われた早田俊幸が35㌔を過ぎると いつも失速していたのを嫌という程見てましたからね。

 瀬古らトラック出身だけでなく宗兄弟などは ここから粘れていたのですけど。
 
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