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83年11月7日、球界の盟主交代の日

 83年11月7日は日本シリーズG7が行われジャイアンツが
7回表まで2-0とリードしたものの、その裏にテリ-・
ウィットフィールドがノーアウト満塁から走者一掃の逆転
2ベースを西本から放ち3-2とライオンズが逆転勝ちして
2年連続優勝を飾りライオンズ時代が到来した。
 82年に所沢移転4年目にしてリーグ優勝を飾りドラゴンズ
をも4勝2敗で破って日本一になった。
 ただしこの頃のパ・リーグは前後期制を取っており前期
優勝はしたものの前年度優勝のファイターズの方が年間
勝率は上だった。
しかもシリーズで下したドラゴンズはジャイアンツに競り
勝ったのだがジャイアンツが後半に怪我人続出という幸運
にも助けられての事と思う連中が多く、シリーズでのドラゴ
ンズの淡白な戦いぶりがその論調に拍車をかけた。
 そして83年のジャイアンツとのシリーズになるのだが、
所沢ラウンドは1勝1敗。ところが後楽園でG3でジャイアンツが
9回2アウトから逆転サヨナラで勝つと、G4はライオンズが足を
痛めた江川を攻略し逆転勝ち。G5をJクルーズのサヨナラ3ラン
で勝って王手をかけたジャイアンツがG6を1-2から、9回表2
アウト1,2塁で中畑の逆転3ベースで3-2。ところがその裏に
これまで2敗していた西本が登板したのをとらえて追いつくと
10回に江川から金森がサヨナラタイムリーを放ち3勝3敗に
追いついたのだった。
 勝敗を分けたのがほんの僅かな差だった事は観戦していた者
達も痛感しており翌年以降もこの両雄の対決が見られると思われた。
 ところが84年こそ両チームとも3位だったが、85年はジャイアンツ
3位に対しライオンズはシリーズでタイガースに敗れたもののリーグ
優勝は飾っている。
 86年はジャイアンツが75勝したものの73勝の広島に勝率で上回られ
2位だったのに対し、森監督が就任したライオンズはリーグ優勝して
シリーズでもG1を引き分けG2から3連敗して王手をかけられながら4
連勝し日本一を奪還する。
 87年に4年ぶりに実現したジャイアンツにとっての雪辱戦は、4勝2敗
でライオンズ完勝。喫した2敗も森監督の計算のうちという感じだった。
たった4年しか経ってないのに実力差は大きく開いてしまった。
 88年ライオンズ、89年ジャイアンツが日本一になって迎えた90年に
3年ぶりの対戦が決まった。シチュエーションは過去2回と逆、つまり
ジャイアンツのホームスタートで投手力は10勝投手が5人いるジャイア
ンツの方が3度目にして初めて有利と言われていた。
 ところがG1でデストラーデが1回表にランナー2人を置いて0-3から
放った先制3ランでシリーズの帰趨は決した、そして4連勝で3年前以上の
力の差を見せ付けた。
 結局80年代はライオンズが5回、ジャイアンツが2回と数字の上では
日本一の数でライオンズが上回った。
 結局83年のギリギリの勝負で勝ったチームと負けたチームの差がモロに
出ている、つまり僅かの差で勝敗が分かれたシリーズを制したライオンズ
が自信を持ってジャイアンツを凌駕していったのだ。
 ただ清原や秋山といった球界No1のスーパースターを擁しながらも人気
面はジャイアンツを最後まで越えられなかったのはライオンズブランドが
まだまだだったという事だろうか?
もしくはライオンズは覇者、ジャイアンツこそ王者という図式がマスコミに
固定観念として根強く残っていたのかもしれない。
 ただ言えるのは地元チームでもないチーム同士の戦いに日本中が沸き
返った80年代は野球全盛時代だったという事か。
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