やはり1年のブランクは厳しかった辰吉丈一郎

 今から31年前の今日91年9月19日に当時21歳だった辰吉丈一郎
はプロ入り8戦目でWBCバンタム級王者グレグ・リチャードソンを
ギブアップさせてタイトルを奪取したのだが、その約1年後の
92年
9月17日に大阪城ホールで行われた暫定王者ビクトル・ラバナレス
との統一戦を行うも激しい打ち合いの末に辰吉は削られて行き9Rに
打ちまくられたところでストップ負けしプロ入り初黒星となった。

 試合は立ち上がりから辰吉が軽快な動きでラバナレスのパンチを
かわしてボディブローを打ち込むなど辰吉ペースかと思われたが、
徐々にラバナレスのパンチがヒットし始め5R終了後のインターバル
でラバナレスが戻していたものの乗じる事ができずに削られて行き
打ちまくられた9Rにタオル投入のTKO負け。

 プロ入り8戦目という最短キャリアでタイトルを奪取した辰吉だ
が92年2月に予定されていた初防衛戦が、左目網膜裂孔を患った事
で中止になり3月にビクトル・ラバナレスが暫定王者になって1年
ぶりの試合だった。

 その暫定王者との統一戦が初防衛戦になったのだがラバナレスは
変則ファイターで見た目は大した事なかったのだが、敵のパンチを
かわしながら打ち込むスタイルの辰吉にとってやり辛そうな相手。

 しかもラバナレスは3月に暫定王者になった後2度の防衛に成功
しているのに対し、前年から眼疾の影響で1年ブランクを作ってい
るのを考えると大丈夫か?だった。

 とりあえずマスコミは辰吉を才能の塊のように報道していたの
とは違和感を感じながら見ていたらタイミングが微妙にずれるた
め、かわしたはずのパンチがヒットするというシーンが回を追う
ごとに増えていく。

 しかも目の故障明けだから左のガードを高めにして戦うため、
いつもと戦うリズムが違って来るわけだ。

 さらに悪い事に辰吉はオーバーワークで調整に失敗していたよ
うで失速して行ったのを見ると、これこそキャリアの重要性が
ハッキリ分かったわけで才能の塊といわれた辰吉を持ってしても
1年のブランクは大きかった感じだし手術明けというタイミング
で最も相性の悪いタイプと戦わざるを得なかったのは不運だった。

 ただデビュー時に‘負けたら引退する’と公言していたのだが、
その後カムバックを果たしラバナレスにリベンジするものの網膜
剥離になるなど波乱万丈のキャリアの入り口に過ぎなかった事を
以後我々は思い知るのである。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
Unknown (Bill McCreary)
2022-09-20 19:51:10
井上尚弥は、辰吉を本当の天才といっていましたが、辰吉が井上波に努力していれば、神になったかもしれませんね。
 
 
 
そうなんでしょうね (こーじ)
2022-09-20 20:46:14
>Bill McCreary様

 当時の辰吉はストイックでしっかり練習している情報しか入ってなかったのでウィラポンが‘辰吉はボディが弱い’的なコメントをしていた時には何で?でした。

 後から聞いたところによるとタバコ吸っていたようで、やはり喫煙などしていたらダメでしょうね。

 ちなみに海老原博幸も偏食でカルシウム系の食材食べなかった事や、ボディを打ちたがらなかった事などのネガティブな情報は後から出て来てましたから。
 
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