ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
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地理の勉強に役立つ高校野球
長男も4年生になると社会の時間で地理を習うようになり、夏休み終了間際に
行っていた宿題には日本の北海道から九州までの県と県庁所在地を書き込む
という課題があった。
長男は九州の6県ぐらいと四国の2県ぐらいまでは分かっていたが、他が皆目
見当がつかないようなので来客がなかった事もあり各県の配置を覚える要領を
教えたのだった。
最大限に活用できるのが高校野球。
夏の甲子園は現在こそ1県1校になっているが72年までは記念大会以外は
30校だったので、その頃の地区割りを参考にして教えたのだった。
たとえば四国。
瀬戸内海沿いの愛媛・香川が北四国で、それ以外の徳島・高知が南四国。
中国地区は広島を中心に東に岡山、西に山口。
そして岡山と東中国代表を争っていたのが鳥取で、山口と西中国体表を
争っていたのが島根。
近畿でも滋賀と京都、奈良と和歌山で1校枠を争っていたので、それを
イメージすれ県の配置が分かってくる。
更に県庁所在地で四国の場合は‘四国四商’つまり高松商・松山商・徳島商・
高知商で覚えさせると分かりやすい。
そのうちに地理では‘○○地方の特産物は’などという問題が出てくるだろうが、
甲子園に出場する学校の地元紹介などを見せれば それぞれの特産物などが
分かるので都合がいい。
だから甲子園出場校の地元の市がどこにあるか地図で調べさせたりすれば、
その市の位置が分かるし、それから更に掘り下げていけるのだ。
それを考えると高校野球に熱中するというのも決して悪くない。
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« ファイヤー星... | 三沢広之がデ... » |
京都が独立後の最後の4年間、近畿の滋賀と北信越の福井が組んでの福滋大会も今思えば画期的で郷愁を覚えます。三国や福井商が充実の福井とまだ夏の甲子園で1勝すら挙げていなかった滋賀との差ははっきり出ていて福井の4連勝でしたからね。翌年、一県一校が定着した滋賀の78年春夏についてはあえて何も語りませんが
同じ県にしても東部と西部、北部と南部ではだいぶイメージが異なりますね。熱海と浜松、尼崎と姫路、和歌山と新宮、岩国と宇部、松山と宇和島などなど。こーじさんの福岡県にしてもそうなのかも知れません。気候や気質によってチームカラーが表れたりするでしょうから地元色の強いチームはファンの共感を呼びやすいんでしょうね。
野球王国・四国も例えば松山商が出場の年なら高松商はアウト。高知商(あるいは高知・土佐)が出場なら徳島商はアウトですから本当に甲子園への道は遠かった印象ですよね。71年の池田はそんな南四国の代表として堂々の初名乗り。蔦監督の嬉しさも後年の比ではなかったのではないでしょうか?78年に最初で最後になっている四国四商の揃い踏み。。。ドロドロユニで準優勝の高知商以外は初戦で敗退する寂しい結果となりましたが、記念大会の名に相応する伝統校としてのプライドが四商ともに甲子園に結び付けたのでしょうね。
それを考えると77年春はベスト4に智弁学園と箕島に
ベスト8に優勝候補だった天理が入ったので、この中から1校のみしか出られなかったのですから大変でしたね。
今にしてみると京滋大会は滋賀県勢には酷な事でしたよね。
今で言うPLのような平安に勝たないと甲子園に行けなかったわけですから。
福岡県も北九州を中心にした北部は守り重視で、福岡市内や久留米あたりは攻撃野球が主流でしたけど最近は北九州勢も九国大付と自由ヶ丘がパワー野球になってきてますね。
高松商などは北四国で松山商がいたからこそ選抜で強かったのでしょうね。
京滋大会で平安や京都商らの全盛期に滋賀が勝つのは至難の業だったと言えるでしょうね。ただ晩期は守山や伊香や比叡山が堂々と京都勢を破って出場を果たしているのです。レベルが上がった(あるいは京都のレベルが下がった?)のかと思わせたのに福滋大会ではまた勝てない滋賀に逆戻りしたのはなぜでしょうか。岐阜勢が優勢だった三岐大会も県岐阜商はもちろん中京商(現中京)の存在も三重勢にとっては脅威で海星や三重高校も常連になるまで試行錯誤を繰り返したのでしょうね。その他7~80年代の四国勢って力強さ&試合巧者ぶりが際立っていた印象でした。北四国大会は75年までしたが、その夏は新居浜商が準優勝。初陣でしたからいろんな評価がありますけど私はやはり実力をそのまま発揮したことでの賜。。。ズバリ強かったのだと思いますね。
出場校予想が載っていた76年の週刊アサヒに紀和大会の所で‘なぜ勝てぬ和歌山勢’という特集がありましたね。
箕島も決して弱くなかったのですけど、これが相性というヤツかもしれません。
ハッキリ言って70年代に入って京都勢は74年の平安以外は強くなかったですからね。
とはいえ膳所は広陵から大敗してますので、滋賀の
レベル自体も高くはなかった感じですね。
子供の頃(75、6年頃かな?)高校野球好きの父親から「北海道は北海、京都は平安、広島は広島商か広陵、山口は柳井か下関商、愛媛は松山商。。。」などとよく聞かされいてたのが、広商を除いては全く出てこないので’どこが県の名門やねん‥‘とオヤジのその見方が不思議でなりませんでした。私が小学校卒業の80年春にやっと平安と広陵が出場、北海は82年春に、下関商は81年夏、柳井は84年夏(それ以降なし)ようやく甲子園に復活し私の中の’呪縛‘が解けたような気がしましたね。北海や広陵は本当に70年代後半が低迷期だったことが伺えますし、平安にしてもその後また10年間音沙汰なしになるんですからね。金属バットの時代になって暫くは名門の一時低迷のような傾向がみられた気がします。75年夏は中京や東邦でもなく愛知は国府、平安や京都商でもなく京都は桂でしたしね(まさに一発屋で終わっています)。さらに我が大阪はPLでも北陽でもなく突如復活の興国で、兵庫は全盛期に入りつつあった報徳や東洋大姫路でもなく洲本。。。そんななか東京では長らく低迷していた早実が復活したのは目を引いたものでした。春を中心に強かった日大勢の時代はストップ。新興勢力である桜美林や帝京のブレイクが始まるわけですね。
76年から本格的に高校野球を予選から意識して見始めたので、乏しい小遣いの中から奮発して購入し凧とで覚えているのですよ。
たしかに高校野球ファンからすると名門のイメージがありますからね。
例えば東京勢はひ弱などというイメージで語られてましたけど、最近はそんな事は言われなくなったので
強くなった証拠でしょうね。
そういえば75年は桂・洲本が初戦敗退し、興国も2回戦で日南から‘まさか’の敗戦で唯一ベスト8入りしたのが天理でしたけど、ココで新居浜商から負けてますから近畿勢にとってはスランプ時期だったのでしょうね。
桜美林の優勝が東京勢としては夏60年ぶりの快挙だったのにも驚いた記憶があります。関東と別枠になる春の東京勢は複数チームが出ることが多く、かつ出場校も夏ほど多くないとなると優勝確率も自ずと高くなりますよね。72年春の日大桜丘×日大三の決勝が夏の東京2代表増枠につながったと聞きますが、1代表が続いていたら桜美林の優勝はあったのかどうか。。。以後帝京と日大三が各2回、早実も斎藤で制しましたね。早実は荒木時代はやや人気先行の感がありましたけど、06年によくぞ10年ぶりに復活したな。。。と注目していたところでの全国制覇。その春も関西と再試合がありましたし、春夏計13試合も戦ったことを思うと改めてハンカチ王子(懐かしい響き)の年だったのかな‥という気がします。川角で選抜を制した横浜の印象は薄いですね。
75年はやはり赤ヘルの年だったんですよ。日南でキャンプを張るカープに見立てたのか同校も燃える赤に変更すると甲子園出場、プチ旋風を巻き起こしましたからね。85年は大阪・タイガース、98年はヨコハマの年だったと言えるでしょう。白ヘルで日南高校(日南学園と同色)は85年に1度復活しましたが、興国はその敗戦以来長い沈黙が続きますね。興南のブレイクは68年のベスト4。同校に勝って優勝したのが興国ですから我喜屋監督(当時主将)も忘れられない試合になっているのでしょうね。
06年の横浜は早実より強かったと思いますよ。
春の戦いぶりを見ると履正社・八重山商工に勝って
ウォームアップを終え、そこからは圧勝でしたからね。
夏も初戦で大阪桐蔭と当たってなければベスト8は固かったと思います。
06年の早実は2回戦の大阪桐蔭以外は鶴崎工・福井商・日大山形・鹿児島工ですから楽に勝っての決勝ですたからね。
そういう意味では全国制覇するにはクジ運も必要ですし、斎藤自身も選抜よりはレベルアップした漢字でした。
興国の村井監督のインタビューが86年のNumberに載ってましたけど、正直言ってコテコテの精神主義者的なコメントで‘これでは甲子園は無理だろう’と思った次第です。
今は高野連が黒と白に紺ぐらいしかヘルメットの色を認めてないらしいですね。
だから日南の赤ヘルもダメだという話を聞いたことがあります。
村井監督はずーっと民放の解説で春夏とも甲子園の放送席にいたイメージでした。調べてみますと75年春の仙台育英×近大付の試合に村井さんの名前がありますし、私が記憶している最後の解説は94年春の高田商×佐野日大です。以前にも書かせて頂いたので多くはコメントしませんが、村井さんは本当にいい野球理論を持っておられました。なのにどうして自校にそれをフィードバックできないのかと。。。?大阪ではPLは鶴岡泰を迎えて数年後に全国制覇を達成。いよいよ精神野球では通用しない時代に突入していくのですが、年々声高に語る村井さんの解説は説得力が薄れていき局も混迷したのではないでしょうか。興国を去ったあとは請われて京大で野球指導していると見聞きしましたが。。。
個性も尊重?された日南ヘルもそうですし、名電は近年は白ヘルですね。個人的には工藤時代の紺(紫)のほうが力強くて好きでした。北陽との熱戦が蘇りますね。報徳もかつては白地にツバの部分が緑で同様に姫路は白地に紺のヘルが特徴でした。住谷・東や金村、あるいは弓岡や松本の頃の甲子園はまだ規制も甘く改めて古き良き時代だったと振り返れますね。
村井氏が持っている野球理論は素晴らしいと聞きますが、それに縛られているような人っていますし氏もそのパターンかもしれませんよね。
しかも民放の解説をするという事は甲子園に出てないという事でもありますし・・・・
ヘルメットのツバの色が違うのもダメというのは
さすがにやり過ぎだと思いますよ、高野連は。
なぜヘルメットにまで規制をするのか全く理解できません。
高校野球の解説ですが、現役の優勝or準優勝監督なら出場ブランク10年まで、それ以下の監督なら同5年までと決めて欲しいですね。担当試合が横浜や智弁和歌山、日大三、帝京などであれば解説者もそうそう厳しい指摘も出来ないでしょうし、出場している名監督にしてみれば’あなたごときに言われたくない‘と思われるのがオチでしょうからね。
やはり甲子園にすら出てない人が解説で‘ああだ、こうだ’言うのは視聴者からも‘?’ですからね。
やはり野球も進化しますので、それを無視した解説者は必要ないですよ。
選手のモチベーションを上げるのが上手かった監督が尾藤さんでしょうね。
尾藤監督はやはり選手の緊張を解き放す’尾藤スマイル‘が絶妙でしたし、その笑いが相手校からすれば何とも不気味に写ったことでしょうね。星稜戦、さしもの尾藤さんも延長12回2死無走者では負けを観念したらしいですが。。。嶋田宗彦の’監督、ホームラン狙ってもいいでしょうか‘の一言でハッと我に返ったそうですね。16回裏にしても局面は同じでした。全員野球を掲げながらもあくまでも基本は’のびのび野球‘。82年春の明徳戦にしても延長でリードを奪われる展開でしたが、’お前ら気合負けしとるやないか。向こうが点を取れてウチに取れん筈がない~!‘とスマイルを浮かべながらも喝を入れ同点、サヨナラへと繋げましたよね。ただ83年夏の吉田戦は試合後尾藤スマイルはなかったようで。。。報知高校野球にはそう書いてありました
尾藤さんは72年に一度監督を辞任され、ボウリング場の支配人などで働いたことがのちの人心掌握に役立ったとのことです。復帰後は定時制エースの東で選抜制覇、春夏連覇、以後は優勝できなかったものの甲子園に率いたチームすべてが魅力的で最後に出場の91年春にしても本格派エースの山路、スラッガーの林孝哉(元ホークスなど)、控えにも高野(元ジャイアンツ?)など野性味溢れる箕島イズムは健在で、大阪桐蔭に終盤に逆転負けを喫したとはいえ、同校は夏には優勝の初陣実力派でしたからね。尾藤さんも初出場でいきなり4強入りしましたから、高校野球の新旧交替をふと頭によぎったことかも知れません。その夏は和歌山大会で智弁和歌山に初黒星を喫し智弁が甲子園へ、完全に智弁>箕島に形勢は逆転してしまいましたね
解説といえば数年前までバンビ坂本佳一さんも務めていましたが、やや主体性に欠けた話に終始していたのは期待外れでした。もっともNHKですから無難に、当たり障りなく。。。が基本でしょうけどね。あどけない16才のバンビ少年も年月を経てナイスミドルに様変わりした印象で、77年が遠い昔であることを思い知らされましたね。
やはり進化しているからこそ、指導者もそれに見合った勉強をしておかないといけないですね。
それが出来ないチームは広島商のように容赦なく衰退しますから。
だから1-0を想定したゲームプランをするチームは
まず勝てないという事でしょう。
高校野球のオールドファンもプロ野球のOBも それに
気付かないといけないのですけどね。
バンビ坂本の解説を聞いていると‘?’ですね。
これでは監督をしないでよかったと思いますよ。