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こーじ苑
自らの成功体験から脱しきれなかった具志堅用高
gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20200614-0094
今月の初めに元WBA:Jフライ級王者の具志堅用高が、会長を
務める白井・具志堅ジムの閉鎖が発表された。
いろいろと伝え聞いた話だとジム経営が厳しいのに2年前に王者
だった比嘉大吾が計量に失敗しタイトルを剥奪される失態を犯した
事などから指導していた野木丈司トレーナーが解任され比嘉がやる
気をなくしたり、会長夫人の現場への介入に嫌気がさした友利正ト
レーナーなどが辞任するなどギクシャクしていたようだから遂に来
るべきものが来たという事だろうか。
今年は具志堅会長が当時のJフライ級の防衛記録を達成し現夫人
との婚約が発表されて40年目なのだから、何とも皮肉な話である。
ジム閉鎖という憂き目になった事を考えてみると13回防衛の王者
というプライドや成功体験が、最終的に現役選手との考えの乖離を
呼んだのではないかと思ったりする。
思えば つまづきの元となった比嘉大吾の件では2月に沖縄で1R
KOという圧倒的な勝ち方をした比嘉に対し、本人に相談なく4月
に2ヶ月のインターバルで次の防衛戦を組んだ事が考えられる。
確かに具志堅の時代は2ヶ月インターバルでの試合は珍しくなく
実際に具志堅も78年と79年は年に4試合を戦っており、特に79年は
全て防衛戦というハードなスケジュールをこなしているし比嘉の
ように早いラウンドでKO勝ちすると下手すれば1ヶ月ぐらいのイ
ンターバルで防衛戦を行う王者もいた。
また比嘉の減量苦に関しても‘ボクサーに減量は当たり前で厳し
い減量に勝てない者が試合に勝てるわけがない’という感覚で、少
しでも長く王座を守る事という価値観を持っていたようだ。
ところが最近は体重が厳しくなると減量で持てる力が発揮でき
づらいという事から階級を上げるケースが多く、もともと筋肉質
で体重が落ちにくい比嘉にとってはフライ級は限界に近かったと
思うし‘本人の自覚が…’という問題でもなかったと思う。
思えば具志堅自身が40年前に防衛記録を作った直後に引退を示
唆するコメントを出そうとしたが既に次の防衛戦を組まれていた
り、沖縄での防衛に失敗した時は会長から計量後に食べるアイス
クリームを取り上げられた事を敗因に挙げている。
つまり自分がやられて嫌だった事を弟子の比嘉にさせていた形
になっているし、当時はともかく現在こういった事はやらない方
がいいにも拘わらずだ。
そういえば90年代後半にホープといわれた名護明彦も右フック
のカウンターを得意とする名護が戸高秀樹や徳山昌守という王者
に挑戦して敗れた時に‘挑戦者なんだから下がったらダメ’的なコメ
ントをしていたのだが、同じサウスポーではあるが具志堅自身は
ガンガン前に出て仕かけるタイプだったのに対し名護は相手を呼
び込んでカウンターを決めるタイプなので戦い方も違うのを理解
してないかのようなコメントをしていたのを思い出す。
99年頃はジム開設から5年ほどで現役時代の自分の成功体験を
押し付けるような形になったのは仕方ないかもしれないが、比嘉
との軋轢を見ると同じ事を繰り返したように見え何とも残念だ。
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