今では考えられない30年前のサッカーW杯予選の扱い

 先日アップしたように今から30年前の89年5月28日に秩父
宮ラグビー場で、宿沢監督率いるラグビー日本代表がスコット
ランド代表に28-24で勝つという快挙を演じた。

 この試合は当時TBSで生中継されインターナショナルボード
8ヵ国相手に初めて勝ったという事でスポーツ紙の1面を飾った
のだが、その一方で片隅に載っていたのが90イタリアW杯アジ
ア1次予選に出場した横山ジャパンの試合結果である。

 この時の予選は1次予選が6つのグループに分かれた中でのホ
ーム&アウェーでリーグ戦を戦い1位通過したチームのみが秋に
シンガポールで行われる最終予選に進むというレギュレーショ
ンで、日本は香港・インドネシア・北朝鮮と同じグループに入
り香港&インドネシアと2試合続けてアウェーで戦い3試合目か
らホームで北朝鮮・インドネシア・香港と戦うスケジュール。

 6週間にわたって行われるスケジュールだったのだが日本は
初戦で4年前に東アジア準決勝で対戦しホームで3-0、アウェ
ーで2-1と勝った香港と0-0で引き分けていた。

 そして2週目の5月28日にジャカルタで行われたアウェーで
のインドネシア戦は再三のチャンスを相手の堅守もあって生か
し切れず、2試合連続のスコアレスドローとなり北朝鮮が前日
香港に勝ったため2節を終えた時点で勝ち点1リードされる展
開になったとの事。

 メンバーを見るとGKが森下でDFに柱谷・井原・堀池・信藤、
MFでは森・佐々木・望月、FWは吉田・前田・長谷川で後のオ
フト・ジャパンのメンバーが5人いたのだ。

 今の時代ならアウェーとはいえしっかりTV中継もされている
だろうし、香港とインドネシアと2試合連続でスコアレスドロー
という成績だと非難ごうごうになるだろう。

 ところが新聞の片隅に結果と日本のメンバーのみが載っただけ
という報道の仕方は当時のサッカー界の日本での立ち位置が分か
るし、多くのスポーツファンは‘どっちみちW杯など無理’という
感覚の者が殆どで全くといっていいぐらい期待してなかった。

 実際6月4日のホームでの北朝鮮戦は2-1で逆転勝ちし11日の
インドネシア戦も快勝したものの、3試合目の香港戦で再び引き
分け北朝鮮での最終戦を落とし2勝3分1敗の勝ち点7で4勝1分1
敗の勝ち点9を挙げた北朝鮮が最終予選進出を決めたのだった。

 もっとも北朝鮮は10月の最終予選では5試合を1勝1分3敗の勝
ち点3の最下位に終わっているので、日本が進出しても同じよう
な結果に終わっていただろうからW杯出場など夢のまた夢だった
わけだ。

 

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
インドネシア戦なんか (Bill McCreary)
2019-05-30 06:22:03
西が丘で開催したくらいですからね。さすがにここでのワールドカップ予選の開催は、この時が最初で最後かと思いますが、当時のサッカーの位置、日本代表の立場がよくわかります。85年にあともう一夫だったのにこの扱いですからね。
 
 
 
まったくです (こーじ)
2019-05-31 22:09:04
>Bill McCreary様
 インドネシア戦については後日アップしようと思ってますけど、ホントに西が丘使用はないですよね。

 いかに当時の日本がサッカー協会の姿勢とは裏腹に熱心でなかったか分かりますね。
 
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