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うどんのこと香川のこと

開店後、ほぼ週1ペースの更新になってます。
しばらく、主なテーマに信号番号の設置を加えようと思います。

シリーズ2 某団長日記からのヒント

2008-01-14 19:54:47 | Weblog
「炎について」で「偽善」の「偽」の部分について詳細にと意気込みましたが

「偽」って、結局、自己目的のことでしょう。
よく、「偽善」て言われるのは、

「上への点数稼ぎかよ!」
とか
「なあんだ。好きな娘の気をひくだめじゃん。」
とか
「結局、儲けのためじゃん。」
とか
「おいおい、選挙目的か!」
とか
「売名行為ですか?」
とかとかとか

そいうえば、某団長日記にヒントが
30代、40代は、いわゆる「まちづくり」をやるよりも、自分の店や会社のために全力を尽くせと。
そうやって、儲けて、お金ができてくると、そこには自然に街ができるはずなんだと。

自己目的に全力を注げば、社会的な目的も達成に近づく。
それは、某団長さんのよくおっしゃる「原理・原則」だと思う。

うどんジムもそれが「原理・原則」らしくは思います。

ただ、我が事をがんばったら、地域が良くなる。

ってのは、アダム・スミスの「神の見えざる手」みたいに思った。
確かに、「原理・原則」だ。

しかし、その「原理・原則」の段階で、いかんともしがたい世の中になったという気もするし。
それを潔しとしない人々が増えつつあるという気もするし。

地域を良くするために動くことが、企業の儲けにつながるという逆の順序を地でいくビジネスが増えてることとも関係があると思う。

「社会的企業家」という言葉もあるし、FPの勉強でも、「SRI(社会的責任投資)」ってのも出てきた。

言葉は悪いけど、「偽」が端的にいえば、自己目的で、社会性が「善」なら、善に偽をくっつけていく話だと思う。

「SRI」というのは、「社会性のあることをしている企業は、将来にわたって、そうでない企業よりも収益性が高いだろう。」という観測が前提にある概念です。
たとえば、早くから環境対応をしてきたトヨタなど

今後は、原則の上に、また別の原則がのって
「社会性」が先に来て、それを「自己目的」にするという、原則で行く人が表に出てくるはずでは。

そこで、昔は、とにかく、見返りを求めないことが美しく、ぼろぼろになる人を賛美する風潮がありましたが。

「社会性」を大事にする人が疲弊して、ぼろぼろになる社会がいい社会だと思いますか?
そういう見返りを求めないぼろぼろになる献身が好きみたいな、エートスというのか、文化・習慣的な精神性というのか、一種の負け犬根性というのか、ひがみ・足ひっぱり根性というのかを少なくしていかんことには、地域ってのは、伸びやかにいかないんでないかと思うんです。

店行こうと思って、玄関に行くまでにふと、思いました。