こんばんは
晴耕雨読そのままで、ようやく宿題ができました。少し長いですが、「秋の夜長」ちょうどいいかも。
「学びの共同体」による授業改革と学校づくり
☛№はスライドのナンバーを意味しております。
☛②学校現場の危機的現状 都内○区では、昨年75人の新採用者が6月には25名退職。原因 世代交代が進み、若い先生たちを支える状況にない。対策として、初任者一人ずつに指導教員を配置するなどしている。都内や近隣県ではでは、学生ボランティアとして採用し、教員採用の条件の一つにしている。定年まで、全うしている先生方は6割。理由、子どもが嫌になって辞めていく教師はいないし、教育に絶望している教師もいない。親の介護など表面上の理由はともかく、「学校に絶望している。無理して自分の健康もつぶしてしまっている。社会に絶望している。行政に絶望してしまっている。」
だから、そういう教師を一人も出さないためにも、みんなが支え合って、だれもがまっとうに教師という仕事を充実感もって勤められるような学校にしなければならない。「学びの共同体の学校」では、そういうことをすごく感じる。「ひとりも一人にしない」つぶれる教師はみな孤立していきます。「どんな教師も一人にしない。」、「どんな校長も一人にしない。」(笑) ^^)
③教師たちが今一番困っていることは、「保護者対応」。文科省<保護者。極端な例、有名進学校では、学級崩壊。担任(学び推進)交代の要望が、区議会を通じて教育委員会へ、事実を述べて対応するもののついには退職へ。
理由として、新資本主義を背景として、「教育=サービス」化している。皆さんもそう思っていません?それも一方的なサービスとして。サービスの受け手として、毎日夕食が届く状況を考えてみてください、最初は喜ばれますが、だんだん文句を言いたくなる。「もっとうまい献立を考えろ」となってくる。現実には、(クレームが)担任や校長を飛び越えて、教育委員会へとなると、調査をしなければいけなくなるという構図の中にはまってしまう。これが困難な理由でここを変えなければ教師は自由に仕事ができない。
結論、教育はサービスか。「教育は次世代への責任」。当然親も責任を持つべき。責任を共有し合う関係をつくっていかないと教師は苦しむだけ。教師と子どもと保護者の間に「信頼関係」が成立しない限り、一番被害を受けるのは「子ども」。よく学校で保護者のボランティアといわれるが、保護者は責任者ですよ。市民がボランティアです。
対応として、保護者の学習参加。例えば、料理の時間にグループごとについてもらう。社会科の調査研究などにも、保護者の引率・安全も含めて。様々な方法がある。出席確認程度から始めると次第に8割ぐらいの保護者が参加するようになる。都内でも保護者参観日はあるけれど、保護者の社交場になって、参観の意味もない。
実践から、1,2回目までは、自分の子どもの近くにうろうろするぐらいだが、3回目になると、様子もわかってきてほかのグループに援助しに行くようになる。つまり、自分の子どもが中心であったものが、学校を支えようとしてくれるようになる。これを20年続けてきた実例が「浜之郷小学校」どのクラスも最低毎学期に開催。おおよそ、8割がたの保護者が参加している。(成果として)20年間1度も学校に地域や親から苦情の電話が1本もない。
(学習参加を実施すると)子どもたちの表情が実に柔らかくなる。一人の先生だけでなく複数の大人から支えられていることから、子どもってこんなに「のびやか」になるし「柔らか」になるのだ。
子どもたちも学び合い、教師たちも学び合い、保護者も学び合うことが、絶大なる力になるということを(この事例から)学びました。
【効果】
①☛3か月、6か月で問題行動が0になった。「何がそうさせているのか」をこういうことから学びたい。それは、T事務局長のあいさつにあったように「子どもは学ぶ希望を持ち学び続ける限り決して崩れない」。だから、「一人残らず学びを保障しなければならない。」「学びの共同体」の実践によって前向きになった女の子の事例の紹介。不遇の環境に生きる子どもにとって、「学び」とは闘い。だから、一人残らず学びを保障しなければならない。ところが、逆のことがいえる。一度学びをあきらめた子、絶望した子は、いとも簡単に崩れる。友達不信、教師不信、大人不信、社会不信、自己不信に陥る。子どもは、これらの両面を持つ。昔は困難な子は、立ち向かってきた、教室を飛び出していった。最近では、無力、蛍光灯の下でひっそりと咲く「セントポーリア」を思い出す。何もせず、じっとしている。
②☛中国(福建省)の現状。
ペア学習の様子の紹介。幼い子ども達にとって、学びとは「共に学び合う」こと。「共に学び合う」ことは子どもたちにとって幸福だ。ということが大切だ。
教育目標に「人格の形成」とあるが、僕は違うと思う。教育の目標は、「幸福の追求」だと思う。憲法13条幸福追求権。個人の尊厳。25条の生存権が、教育目標だと思う。
重慶の様子(人口3,700万人)
当初は、学校へは来るが授業に参加しない。給食には集まってくる状態を改善するために、学びの共同体を導入した。1年もたたないうちに全員が授業に出るようになった。子どもたちの感想。中学生が佐藤先生の本を読んで「学校は社会」ということを学びました。というのを聞いて涙が出ました。上級学校へ進学できるのが、1割程度。また、行けなくても働いて大学へ行こうとする(学び続ける)原動力となっている。
先生たちが考えた、学びのデスクいろいろ。
学びの共同体導入直後、グループは6人。現在では4人グループを踏襲。そこで、一人でもグループでもみんなでも学びやすいテーブルを考案。子どもたちが主体性をもって、ここは一人で、ここはグループでなどと選べる形が望ましい。なぜなら、学びとは、「個の学び」だから、多様に学べる形がいい。
21世紀の社会と教育
140年前の産業主義教育からの脱却。単純労働に対応できればよかった。リーダー養成のために、一部エリート教育が必要だった。当時から東大やハーバード大学ではアクティブラーニングだった。現在では、かつてのエリート教育を全体にする必要が出てきた。なぜならば、単純労働でなくなってきたから。日本では、現在製造業は18%、農民は4%。10年後には製造業が8%、20年後には4%となる。トヨタ方式にみられるような製造パターンへの変化。アメリカの場合10年前と現在では、管理職・経営マネージャーは13%、現在では3%に過ぎない。かつては、命令で動く部門別であったものが、現在ではフラットに3年ごとでチームごとローテーションする形態が中心。だから絶えず新しい情報・知識を総動員して仕事をしなければならない。
(プロジェクト型)我が国も多くなりつつある。なぜなら、同じ仕事内容なら発展途上国なら1/7の人件費で済む時代だから。今までの教育でいいのかどうか。
創造的コミュニケーションが重要となり、あらゆる人に論理的思考力・問題解決能力・コミュニケーション能力が要求される。また、創造性を発揮できるチームワーク。などの能力を持っていないと社会に対応できなくなり、非正規雇用しかなくなってしまう。
総理府の調査では、20年後仕事の4割がAI(人工知能)に置き換えられる。
こういった社会に、子どもたちを送り込むことになり、どのようにして一人残らず子どもたちがまっとうな暮らしができ、社会に参加できるかということを考えるための教育をしなければならない。だから、従来型の教育ではだめだということで、アクティブラーニングが前面に出てきているということ。
その後、各国の様子を紹介。
現在では、高校の現状にすごく危機感を持っている。6人班での学習から4人班へ、話し合い学習から学び合いへ。話し合いには学びがない。学びとは、わからないことをやり取りするから。教え合いから学び合いへ。「わかった人は教えてあげて」とは言わない。「わからなかったら、聞くんだよ」。わからない子・できない子ほど一人でやろうとする(わからなさを隠したい)から聞けるようにしていく。
学力向上を目的に、学びの共同体を進めて効果があったところはない。学力向上に最も効果があったものは、補習授業、宿題、個人指導、塾のうちどれか。(調査結果より)結果は、どれも効果があるとは言えなくて、日常の授業に勝るものはない。何をやったから学力向上をしたといえるほど、学力は単純ではない。しかし、因果関係は不確かだが「芸術教育」が盛んな学校ほど学力が向上している。
資料から、B問題からのびて、あとからA問題が伸びてくる。ということは、基礎から応用というように従前の授業を流しても効果はあまり期待できない。
その他、導入校の様子を紹介して終了。
真夏の研修が秋真っただ中となりました。
9/12日付読売新聞
来週あたりに、残りの稲刈りができそうです。ではまた。
晴耕雨読そのままで、ようやく宿題ができました。少し長いですが、「秋の夜長」ちょうどいいかも。
「学びの共同体」による授業改革と学校づくり
☛№はスライドのナンバーを意味しております。
☛②学校現場の危機的現状 都内○区では、昨年75人の新採用者が6月には25名退職。原因 世代交代が進み、若い先生たちを支える状況にない。対策として、初任者一人ずつに指導教員を配置するなどしている。都内や近隣県ではでは、学生ボランティアとして採用し、教員採用の条件の一つにしている。定年まで、全うしている先生方は6割。理由、子どもが嫌になって辞めていく教師はいないし、教育に絶望している教師もいない。親の介護など表面上の理由はともかく、「学校に絶望している。無理して自分の健康もつぶしてしまっている。社会に絶望している。行政に絶望してしまっている。」
だから、そういう教師を一人も出さないためにも、みんなが支え合って、だれもがまっとうに教師という仕事を充実感もって勤められるような学校にしなければならない。「学びの共同体の学校」では、そういうことをすごく感じる。「ひとりも一人にしない」つぶれる教師はみな孤立していきます。「どんな教師も一人にしない。」、「どんな校長も一人にしない。」(笑) ^^)
③教師たちが今一番困っていることは、「保護者対応」。文科省<保護者。極端な例、有名進学校では、学級崩壊。担任(学び推進)交代の要望が、区議会を通じて教育委員会へ、事実を述べて対応するもののついには退職へ。
理由として、新資本主義を背景として、「教育=サービス」化している。皆さんもそう思っていません?それも一方的なサービスとして。サービスの受け手として、毎日夕食が届く状況を考えてみてください、最初は喜ばれますが、だんだん文句を言いたくなる。「もっとうまい献立を考えろ」となってくる。現実には、(クレームが)担任や校長を飛び越えて、教育委員会へとなると、調査をしなければいけなくなるという構図の中にはまってしまう。これが困難な理由でここを変えなければ教師は自由に仕事ができない。
結論、教育はサービスか。「教育は次世代への責任」。当然親も責任を持つべき。責任を共有し合う関係をつくっていかないと教師は苦しむだけ。教師と子どもと保護者の間に「信頼関係」が成立しない限り、一番被害を受けるのは「子ども」。よく学校で保護者のボランティアといわれるが、保護者は責任者ですよ。市民がボランティアです。
対応として、保護者の学習参加。例えば、料理の時間にグループごとについてもらう。社会科の調査研究などにも、保護者の引率・安全も含めて。様々な方法がある。出席確認程度から始めると次第に8割ぐらいの保護者が参加するようになる。都内でも保護者参観日はあるけれど、保護者の社交場になって、参観の意味もない。
実践から、1,2回目までは、自分の子どもの近くにうろうろするぐらいだが、3回目になると、様子もわかってきてほかのグループに援助しに行くようになる。つまり、自分の子どもが中心であったものが、学校を支えようとしてくれるようになる。これを20年続けてきた実例が「浜之郷小学校」どのクラスも最低毎学期に開催。おおよそ、8割がたの保護者が参加している。(成果として)20年間1度も学校に地域や親から苦情の電話が1本もない。
(学習参加を実施すると)子どもたちの表情が実に柔らかくなる。一人の先生だけでなく複数の大人から支えられていることから、子どもってこんなに「のびやか」になるし「柔らか」になるのだ。
子どもたちも学び合い、教師たちも学び合い、保護者も学び合うことが、絶大なる力になるということを(この事例から)学びました。
【効果】
①☛3か月、6か月で問題行動が0になった。「何がそうさせているのか」をこういうことから学びたい。それは、T事務局長のあいさつにあったように「子どもは学ぶ希望を持ち学び続ける限り決して崩れない」。だから、「一人残らず学びを保障しなければならない。」「学びの共同体」の実践によって前向きになった女の子の事例の紹介。不遇の環境に生きる子どもにとって、「学び」とは闘い。だから、一人残らず学びを保障しなければならない。ところが、逆のことがいえる。一度学びをあきらめた子、絶望した子は、いとも簡単に崩れる。友達不信、教師不信、大人不信、社会不信、自己不信に陥る。子どもは、これらの両面を持つ。昔は困難な子は、立ち向かってきた、教室を飛び出していった。最近では、無力、蛍光灯の下でひっそりと咲く「セントポーリア」を思い出す。何もせず、じっとしている。
②☛中国(福建省)の現状。
ペア学習の様子の紹介。幼い子ども達にとって、学びとは「共に学び合う」こと。「共に学び合う」ことは子どもたちにとって幸福だ。ということが大切だ。
教育目標に「人格の形成」とあるが、僕は違うと思う。教育の目標は、「幸福の追求」だと思う。憲法13条幸福追求権。個人の尊厳。25条の生存権が、教育目標だと思う。
重慶の様子(人口3,700万人)
当初は、学校へは来るが授業に参加しない。給食には集まってくる状態を改善するために、学びの共同体を導入した。1年もたたないうちに全員が授業に出るようになった。子どもたちの感想。中学生が佐藤先生の本を読んで「学校は社会」ということを学びました。というのを聞いて涙が出ました。上級学校へ進学できるのが、1割程度。また、行けなくても働いて大学へ行こうとする(学び続ける)原動力となっている。
先生たちが考えた、学びのデスクいろいろ。
学びの共同体導入直後、グループは6人。現在では4人グループを踏襲。そこで、一人でもグループでもみんなでも学びやすいテーブルを考案。子どもたちが主体性をもって、ここは一人で、ここはグループでなどと選べる形が望ましい。なぜなら、学びとは、「個の学び」だから、多様に学べる形がいい。
21世紀の社会と教育
140年前の産業主義教育からの脱却。単純労働に対応できればよかった。リーダー養成のために、一部エリート教育が必要だった。当時から東大やハーバード大学ではアクティブラーニングだった。現在では、かつてのエリート教育を全体にする必要が出てきた。なぜならば、単純労働でなくなってきたから。日本では、現在製造業は18%、農民は4%。10年後には製造業が8%、20年後には4%となる。トヨタ方式にみられるような製造パターンへの変化。アメリカの場合10年前と現在では、管理職・経営マネージャーは13%、現在では3%に過ぎない。かつては、命令で動く部門別であったものが、現在ではフラットに3年ごとでチームごとローテーションする形態が中心。だから絶えず新しい情報・知識を総動員して仕事をしなければならない。
(プロジェクト型)我が国も多くなりつつある。なぜなら、同じ仕事内容なら発展途上国なら1/7の人件費で済む時代だから。今までの教育でいいのかどうか。
創造的コミュニケーションが重要となり、あらゆる人に論理的思考力・問題解決能力・コミュニケーション能力が要求される。また、創造性を発揮できるチームワーク。などの能力を持っていないと社会に対応できなくなり、非正規雇用しかなくなってしまう。
総理府の調査では、20年後仕事の4割がAI(人工知能)に置き換えられる。
こういった社会に、子どもたちを送り込むことになり、どのようにして一人残らず子どもたちがまっとうな暮らしができ、社会に参加できるかということを考えるための教育をしなければならない。だから、従来型の教育ではだめだということで、アクティブラーニングが前面に出てきているということ。
その後、各国の様子を紹介。
現在では、高校の現状にすごく危機感を持っている。6人班での学習から4人班へ、話し合い学習から学び合いへ。話し合いには学びがない。学びとは、わからないことをやり取りするから。教え合いから学び合いへ。「わかった人は教えてあげて」とは言わない。「わからなかったら、聞くんだよ」。わからない子・できない子ほど一人でやろうとする(わからなさを隠したい)から聞けるようにしていく。
学力向上を目的に、学びの共同体を進めて効果があったところはない。学力向上に最も効果があったものは、補習授業、宿題、個人指導、塾のうちどれか。(調査結果より)結果は、どれも効果があるとは言えなくて、日常の授業に勝るものはない。何をやったから学力向上をしたといえるほど、学力は単純ではない。しかし、因果関係は不確かだが「芸術教育」が盛んな学校ほど学力が向上している。
資料から、B問題からのびて、あとからA問題が伸びてくる。ということは、基礎から応用というように従前の授業を流しても効果はあまり期待できない。
その他、導入校の様子を紹介して終了。
真夏の研修が秋真っただ中となりました。
9/12日付読売新聞
来週あたりに、残りの稲刈りができそうです。ではまた。