早くも1週間もたってしましました。少し天気も良かったのでいよいよ、台風で崩れたのり面の改修が始まりおお忙しの毎日です。
この冊子のイラストは愛知県の永井先生によるものです。子どもたちの表情が見事に描かれています。最上段真ん中の絵がとってもいい感じでお気に入りです。
今回も、300名を超える参加で今回も大賑わいの会場。
開会式典の後、佐藤学先生の基調講演から。
研究大会のテーマ「質の高い学びと平等を同時追及する授業の創造」
○学びの共同体における質(quality)と平等(equality)
○一年を振り返って
①アクティブラーニングが追い風になっている。学びの質を保障するために、話し合いにしない、教え合いにしない、発表会は最小限に。
②「探究の共同体」は、改革を5年以上継続しているところで成立をしている。困難校での改革成功例もこれまでと同様に顕著に表れている。
③各地の公開研究会は、年間1,000回以上。1日にどこかで4校ないしは5校公開していることに。
④新たに宮城県(塩竃・冨谷市)、栃木県(足利・栃木市)、鹿児島県などで改革の拠点校が拡大している。
⑤もう一方で、大都市(政令指定都市、特に東京都、大阪市、京都市、金沢市、仙台市など)における改革の困難を克服できてはいない。
⑥高校については、学校ぐるみの取り組みが依然として難しい現実がある。小学校については、改革の持続性が困難である。持続可能(sustainable)な改革の研究が要請されている。
⑦若い教師たちの学びを活性化する必要と条件が増大している。教員採用試験の倍率から見て(10数倍から1倍台に激減)、かなり危機的状況である。
○これからのキーワード
「探究」「協同」
○2018年の出版(国内)
○海外の様子
中国では教員は1,000万人。一つの学校で研究予算が1,000万円、我が国は20万円。
インドネシア、韓国、メキシコ、タイでの学びの共同体の紹介や国際会議の様子など。
○「学び合う場と関係と環境をつくる」教師のポジショニング。
場:机の配置(コの字、4人グループにすることによって、お互いのつながりが生まれる)
関係:「聴き合う関係」をつくること。
環境:誰もが安心して学べる、穏やかで温かい空間。
○学びの基礎と学びの質の方程式
学びの基礎(foundation)F=(P,R,E) P=場(配置)R=関係 E=(環境)
Kurt Levinの場の理論(field theory): B=f(P,E) 行動=f(人、環境)
学びの質
Q=f(L,A,J) Q=学びの質 L=聴き合う関係 A=真正の学び J=ジャンプの課題
○一番苦戦している国とは
香港とシンガポール:「競争の教育」から抜け出せない。
○質の高い学びとは
「質の高い学び」は、一般には論争的な概念である。査定社会のアカウンタアビリティ政策において、学びの「質」は「品質管理(quality control)」として捉えられテストによって数値化され数量的に表現される傾向にある。それに対して、学びの共同体における「質の高い学び」は、以下の指標で表現されている。
・学びの真正性 authenticity
・学びの創造性 creativity
・学びの著者性 authorship
・主人公としての学び protagonist
・深い学び deep learning
「質の高い学び」を実現するカギは、<探究(inquiry)>と<デザイン(design)>にある。
○学習科学による学びの再定義
①学びは既知の世界から未知の世界への旅(journey)であり、(Dewey)、新しい世界、新しい他者、新しい自己との出会いと対話である。
②学びは個人的活動でなく、社会的活動である。自然的過程(能力や技術の形成)でなく、文化的過程(意味と関係の構築)である。
動物の学び=模倣と反応、コピー
人間の学び=<コピー(模倣)>でなく《再構築》意味の構成、学習、言語で意味付け時間がかかるが、動物を超えていく。創造
動物の学び=自然過程、人間の学び=コミュニケーションによる意味の再構成、社会的文化的実践。
③私(佐藤学)は、学びを対象世界(テクスト)との対話、他者との対話、自己との対話の三つの対話的実践として定義している。この定義によれば、学びは認知的実践(世界づくり)であり、対人的実践(仲間づくり)であり、実存的実践(自分づくり)である。
④学び=《意味と関係の編み直し》
⑤学びは<他者の声を聴く>ことから出発する。<聴き合う関係>が対話的コミュニケーションを生み出し、対話的実践が学びを準備する。(「話し合い」ではない!!!)
○「第一の学習モード」(learningⅠ)と「第二の学習モード」(learningⅡ)・・グレゴリー ベイトソン
何かを学ぶ活動において、知識の内容を学ぶ「第一次学習 proto-learning=可視」(learningⅠ)と知識の学び方を学ぶ(learning to learn)「第二次学習 不可視」(learningⅡ)の二つの学びが存在すると述べ、この二つのうち、learningⅡ(学習文化の伝統に根ざしている)こそが、本質的な学びであると述べていた。
例:learningⅠは知識や技能を学ぶこと。一般的な学習。一次関数のグラフをかけること。見える、語ることができる。
LearningⅡ=何かの知識の学び方を学ぶこと。見ることも測ることもできない。感じ取ること。(真正の学び、教科の本質)
※難しい!! 経験則をもとにして考察力や判断力を鍛えることか?(つぶやき)
「理解中心の授業」から「探究中心の授業」へ
社会構造の変化を生き抜くためには、必要不可欠。
私どものテープ起こしにつき、ご容赦願います。(よねだ)
次回は分科会より