今年も残すところ2日となりました。成績処理に懇談と一番忙しい日が続きましたが、お変わりありませんか。
さて、標記の通り今週土曜日に予定されておりました奈良の会、中止との連絡をいただきました。1月は、なくて次回2月25日(土)開催予定とのことでした。奈良も大層冷え込んでまいりました、コロナにインフルエンザとダブルパンチを防御して、新年を迎えましょう。
詳細、アメーバブログでご確認ください。
気になる新聞記事から
この時期、中学校では進路選択がほぼ決まるころです。内申書のあり方についの記事です。
奈良県でも、見直しが進められようとしています。
私のころは、9教科で実音テスト(ドレミファどん的)や体育実技(鉄棒とマット運動)などがあり結構ボリュームがありましたね。2年後ぐらいに、内申制度が組み込まれたのではなかったのかなと思い起こしています。
当時は、公立高校も少なく奈良高専を足掛かりに奈高、郡山、一条英文科、その他普通科か実業高校に振り分けられていたようです。当時は、現在のような私学併願は経済的に豊かなお家でクラスに数人ぐらいでしたか。当然特色選抜などもなくとにかく一発勝負。奈良高専に合格できれば、ほぼほぼどの学校でも合格するといわれてました。
私の場合はそんな話もなく、「お前は、一条(普通科)で陸上しなさい。」の一言で進路決定でした。英文科を第1志望にして第2志望が普通科という選択肢もあったようですが、願書は普通科1本でした。合格発表の時、いまだに覚えていますが、私の次の受験番号がなかったのです。同じクラスの出席番号が次の友達でした。彼は、私学を併願していたので事なきを得たようでしたが、何とも気の毒でした。発表が、卒業式のあとということで、落ちたらどうなるんだろうと真剣に悩んだものでした。
それが、卒業後50年を記念して初めて学年同窓会を開催して、友達に会うことができました。はじめは、おつむの様子やおなかの出っ張り具合でわからなかったのですが、終わり際やっとこさ話をすることができました。彼は、私が教員だったことにおどいていましたが、彼はなんと大阪で小児科のお医者さんになっていました。
要は、人生は入試ぐらいで変わらんということですね。
しかし、教員になって初めて3年生担任になったときに、「15の春を泣かすな」と当時の校長先生にたしなめられたのも思い出しました。
では、また
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